マリメッコ展 marimekko  Bunkamura ザ ミュージアム

渋谷Bunkamuraマリメッコを見た。フィンランドのデザインハウスで、フィンエアーのデザインもマリメッコだ。白地に大きなピンクの花がべっとり広がる。それがいくつもいくつも途切れず布にプリントされていく。マリメッコの看板デザイン「うにっこ」だ。これが一番よく知られている。歴代のデザイナーには、日本人も何人かいたらしい。極東の人も仲間に入れる、自由闊達さがデザインの斬新さにつながるのかもしれない。「うにっこ」を眺めているうちに、ノスタルジックになった。遠い昔に着ていたワンピースの花柄や、広告の紙裏にクレヨンで描いていたお姫様が思い出された。今では失ってしまった、いや、まだどこかにしまわれているかもしれない(?)少女の私が反応している。振り返ると、もう遠すぎて小さくて見えない少女の私が無邪気にお花の絵を画用紙一杯に描いている。あの頃に帰ることはもう出来ないが、今でも花の絵をスケッチブックに描くことは出来る。ああ・・♪あの頃の君にあって、・・・今の君にないものなんてないさ・・・と。竹原ピストルが歌う。精神の根っこの部分は年齢を重ねてもたいして変わらない。と、今ならよくわかる。

ララランド La La Land(2016)

タイトルがいい。「ラ」が好きだ。ひとつ増やして「ラララ~」と油断していると、そのままステップを踏んでしまう。アカデミー賞を一杯取った話題のミュージカル。オープニングは、渋滞した道路の群衆ダンスシーン。入り口でいきなり袖を引っ張られたような感じ。夢を追いかける男女が一緒になり、やがて離れて、そして夢を叶えた時には、相手を失っているというお話。切ない。あの日、あの時、あの場所で・・・♪ と小田和正も歌っていたね・・・そう「たられば」。誰しも一瞬考える甘美な世界。音楽が終わって、ふたりはまた目の前の日常に戻っていく。大人になるということは、持てる荷物を選ぶことなのよね。最後はしみじみ。それにしても新作映画は心が躍る。新宿TOHOシネマはキレイだった。座席は広いし、飲み物は置けるし、最近はネットで座席も指定できるし、映画ってやっぱり楽しい素晴らしい。セバスチャン役のライアン・ゴズリングはなんと自分でピアノを弾いている。元々弾けたわけじゃないらしいからすごいぃ。彼がいいな。ダメなところとか、頑固なところとか、弱っちいところとか。人は欠点を愛するのだから。

0円キッチン Waste cooking(2015)

毎日たくさんの食材が捨てられている。そんな食材を使って料理しよう。廃油を使ってキッチンカーを走らせて、いろんな所へ行って、みんなの心に食べ物のこと、もっと考えようよ~!と訴える映画だ。最初は普通の料理だったが、最後は芋虫でハンバーガー作って食べていた。主人公のダービッドさんは、ジャーナリストでこの映画の監督をしている。オーストリア人でかわいい青年なので。前半は彼の魅力で楽しく見ていたのだけど、後半は飽きちゃった。芋虫ハンバーガーを積極的に食べる未来が来るのだろうかと思うと、若くなくて良かったと思った。毎日有り余るような食品に囲まれて暮らす生活の中で、見失ってしまうことは多いのだと思う。「いただきます」と手を合わせること。今日もつつがなく食事が頂けること。もう少し意識したいと思う。一呼吸おいて考えるべき日常は、有り余るほどある。

ブラインドマッサージBlind Massage 推掌(2014)

目の不自由な人の手引きをしたことがある。見えにくい友だちもいる。だが、見えないということがどんな感じなのかはいまもよくわからない。この映画は南京のマッサージ院に集まる盲人たちの世界を描いている。失った視力が戻らないと知った少年シャオマーが自殺を図る。この映画は血が噴き出すシーンから始まった。青年になったシャオマーは南京のマッサージ院で働きだす。むせるようなフェロモンを放つシャオマー。寮の二段ベッドが並ぶ部屋で、女性に襲いかかろうとする。部屋にいる同僚たちは皆、盲人。気配は感じていても何も見えていない。微妙な息づかいと蠢く男女を、スクリーンの前の自分だけが覗いている気分になる。見えなくて不便なことも多いが、見えないからこそ研ぎ澄まされる感覚もあるのだろう。見えることで失ってしまった感覚もある。視覚が持つ膨大な情報量でその喪失には気がつかない。映画の後半で美人マッサージ師のドゥホウが手を痛める。マッサージ院では働けず、やがてそこを離れる。同僚たちが静かにいたわる。喪失を経験した者同士が持つ慎みや暖かさのようなものを感じた。映画を見ても、見えない世界が分かったわけではない。だがちょっと安心した。そんなに遠い世界を生きているわけじゃないんだと思った。

エヴォリューションEvolution (2015)

今年はたくさん映画を見よう。そう思わないと、映画も見なくなった。好きなことをするのにもエネルギーがいるようになった。悲しい。でも好きな映画も見ないで無為に日々を送ってしまう方がもっと悲しい気がした。「映画くらい見よう」そう思って、年明け早々の渋谷アップリンク。ちょうどやっていたのがこの映画「エヴォリューション」。勝手にバイオハザードのような映画だと想像していたが全然違った。「どんな映画にも素敵なシーンが必ずある」と、昔、淀川長治さんが言っていたような気がする。駄目な映画にもいいなと思えるところ、救いがあるものだと。この映画の救いは映像がキレイなところ。時代も場所も全部が曖昧で、なんとなく暖かい海がある場所、地中海沿岸かな、それが映像からにじみ出ていた。女性と青年しかいない島のお話は、気持ちの良い話ではなかったが、ちょっと生暖かい映像が気味悪さを倍増させていた。監督がモロッコの女性だからかもしれない。しかし「よし!」と気合いを入れて新年早々見にきたが、はずれだった。そんなこともあるさ。がっかりするなよ。そう自分に言いきかせた。

マレーネmalene 俳優座劇場

友人に誘われて六本木の俳優座劇場に「マレーネ」というお芝居を見に行った。あのマレーネ・ディートリッヒのお話だ。主演は旺なつき。美しい声に歯切れのよいセリフ回し、上品な身のこなしと。さすが宝塚出身。最後はマレーネそのものになって歌う。シルバーのスパンコールのドレスに白いガウン。光に映えて本当に美しい。歌も色っぽくて素敵だった。祖国ドイツを離れてアメリカで生きるマレーネ。強くて弱くて、美しくて醜悪。女性も若さを失った頃から「命の玉」のようなものが輝き始める。どれだけ傷つき、もがいたかで、玉は磨かれ、若さとは違う輝きを放ちだす。マレーネもそうだが、演じた旺なつきさんにも、そんな輝きがあった気がする。かっこいい。

いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう

20年前の月9は高層ビルが立ち並ぶ街のオフィスで働くおしゃれな男女のお話だったが、今の主人公は介護施設の職員と引っ越しやさん。日本は随分変わったと誰かが言っていた。本当だ。毎回見るたびに暗くなるようなエピソードが一杯で胸が詰まる。坂元裕二脚本で、彼特有のかぶせるようなセリフ回しに、これまた追いつめられる。この先にどんな光が見えるのだろうと思いながら見ているが、毎回、心が痛くなって終わる。手嶌葵の歌も、薄幸な感じで、登場人物たちの切なさにぴったりだ。それにしても高良健吾君は華奢なせいか貧乏薄幸青年も良く似合う。「花燃ゆ」の高杉晋作よりずっといい。本当は彼には悪い人を演じてほしいが。今の日本の月9は、そんなただのエンターテイメントじゃ駄目なんだろう。来週は拡大版だとか、15分も増えたらどのくらい心が折れるのだろうか。そう思うともう止めようかと思う。