NHK BSプレミアム「イニョプの道」(韓国2014)

韓国ドラマは一時のように取り上げられることはなくなったが、水面下では今も根強い人気がある。韓国時代ものは特に毎度同じ宮中セットと見覚えのある俳優陣で、正直「またか」と感じることもある。それでもついつい見てしまう。韓国ドラマ恐るべし。主人公イニョプは、貴族階級「両班」で、プライドの高い娘だった。使用人の下女が戯れにイニョプの靴を履くと「けがれた」と言って同じ靴を履くことを拒み、乗って帰る輿までの数十メートルに絹布をひかせてしまう娘だ。なんだ?このいけすかない娘はと思ってしまう。いいなづけのウンギとの婚礼の日、突然イニョプの父親が謀反の罪を着せられ処刑される。娘イニョプは奴碑に格下げ、婚礼の日になんと下女になってしまう。天国から地獄へ。元婚約者ウンギは、イニョプを助けるために、下女イニョプが暮らすヒョンジョパンソ(兵曹判書)の娘ユノクと政略結婚をする。ユノクは、以前はイニョプの妹のような存在だったが、今では両班と下女の間柄、その上、夫ウンギが今もイニョプを愛していることに嫉妬し、イニョプをいびる。最初は高慢でかわいげがないと思っていたイニョプだったが、下女仲間にいじめられ、両班のユノクにいびられ、めちゃくちゃかわいそうになっていく。気がつくといつのまにかイニョプを応援してしまっている。ああ、もうダメだ、すっかり手中にはまっている。もう毎週見ないではいられない。そのうえ韓国ドラマの定番、主人公を取り巻く2人のイケメンの存在だ。今回は下男ミニョン(オ・ジホ)とウンギ(キム・ドンウク)の組み合わせがいい。「チュノ 推奴」の時の、オ・ジホとチャン・ヒョクの組み合わせと同じくらい素晴らしい。それにしても韓国の俳優さんは美しいし、演技もうまい。アップで涙をハラハラ流したり、苦痛にゆがむ表情を見せたり、少々変な設定もわざとらしさもこの演技で吹き飛んでしまう。関係ないがNHKの「精霊の守り人」が、なぜか韓国ドラマに見えてしまい、なおかつ韓国ドラマほど引き込まれないのは、なんだか悲しかった。制作費はきっとNHKの方がかけているはずなのだが。受信料返せとは誰も言わない。結局、韓国の方が圧倒的な数を作ってきているのかもしれない。ドラマ好きの韓国の視聴者を満足させてきた実力なのだろう。まあ、日本には日本のドラマの良さがある。どちらがどうではない。それぞれ自分の花を咲かせればいい。お隣の国韓国は忌み嫌う国でも溺愛する国でもどちらでもない。隣人の良いところは学び、嫌いなところは一線を引けばいいのだと思う。だが実際はそうはいかない。近しい他人ほど、なかなか冷静にはいられないものではある。

夜空はいつも最高密度の青色だ(2017)

池松壮亮が見たくて行った。ダブル主演の石橋静河は、石橋凌原田美枝子の娘なんだとか。芸能界も二世ばっかり。石橋静河はまっすぐ伸びた長い足とさびしげな小さな口元がいい。監督は石井裕也。「舟を編む」の監督。原作は若手詩人最果タヒの詩集で、詩集のタイトルがそのまま映画のタイトルだ。都会の片隅で孤独を抱える若者たちの恋愛を描いた物語。思った以上に純粋で伸びやかな映画だった。主人公池松君と一緒に働く工事現場の仲間の田中哲司。そのダメじじいぶりや、ガールズバー石橋静河の不機嫌ぶりから、最初はもうちょっとダークな映画かと思っていたが、至極ストレートな映画。舞台は渋谷、新宿。池松壮亮は期待通りのナイーブな青年役。朝起きて窓を開けると石橋静河のマンションの外で池松壮亮が一晩中待っている。あのつぶらな瞳がいやあ~ん。映画館の観客は4分の3が女性だった。なるほど。池松君人気ある。映画はまあまあ。あとで映画サイトに寄せられた映画評を読んだ。確かにディテールは緩い。NYへ逃げる彼女の下着姿も時代錯誤だし、やたら多弁になる池松壮亮のキャラもストーリーにあんまり絡まないし、貧乏なわりに部屋は広いし。しかし、だからといってダメでもない。ベタだがちょっといとおしい。いつの時代も都会は人々を飲み込むし、若者を惑わすし、矛盾をおしつけてくる。絶望と希望がないまぜだけど、悲惨な絶望も一握りの希望があれば跳ぶことができる。うん。きっととべるはずだ。がんばれーえー♪

日テレ「フランケシュタインの恋」

♪ボクは人間じゃないんです・・・ほんとうにごめんなさい~。ドラマよりもこの曲が好きだ。お話は120歳のフランケンシュタイン綾野剛がきのこの胞子をまき散らしながら、きのこ好きの大学院生二階堂ふみと恋をする話だ。二階堂ふみは「woman」の印象が強すぎて、かわいい役を演じると、ちょっと落ちつかない。虫も殺さぬ心優しい女子大生を演じるより、眼光鋭いエキセントリックな役の方が私は好きだ。そんな津軽さん(二階堂ふみ)に恋するのが先輩役の柳楽優弥山田孝之系の濃い顔で、大河ドラマにも出ているので、日曜日は柳楽優弥ナイト。そんな柳楽君に恋しているのが、あっさり顔の川栄李奈。ヤンキー系の美少女の川栄が「ふざけんじゃねーよ」と吠えるたびに、「ああかわいい」と思ってしまう。高橋メアリージェーンとともに、ヤンキー国ジャパンにはなくてはならない女優さんだと思う。あとは「天草に聞け!?」の新井浩文と「あさが来た」の番頭さんだった山内圭哉。このふたりの存在がメルヘンチックなお話に不穏な空気を注入して、メルヘンなお話をかろうじてリアルにしてくれる。ドラマはまあまあ。主役の綾野剛が下手すぎる。斎藤工は苦手だ。そんなこともあってイマイチ乗り切れないまま最終回へ。結局、一番好きなのはテーマ曲かも。♪ボクは人間じゃないんです・・・。手に入れた幸せは忘れるわ、自分のことは棚にあげるわ、ボクは一体誰ですか~♪。そのとおりだ。偉っそうに、あーだこーだ言っているけど、自分がどんな顔しているかも分からないくせに。謝らなきゃいけないのは、この私だ。「♪ほんとにごめんなさい~」。文句ばかり言ってないで、黙ってやることやれ!そうだそうだとどこからかそんな声が聞こえる。

土曜時代ドラマ  「みおつくし料理帖」

土曜時代ドラマ?時代劇とは違うのか?という疑問はさておき、有名な俳優さんがわんちゃか出ている時代ものだ。土曜総合夕方6時ってこんなに豪華だっけ。主演は黒木華。脚本は藤本有紀。もう見ないわけにはいかない。あれれ、なんと森本未来に永山絢斗も出ている~。小日向文世、安田成美、麻生祐未、ええええ、こんなに出てんの?てな具合。天下のNHK様、時代物最強。さてお話は江戸時代。みなしごの澪(みお)黒木華が、料理の腕で江戸の料理人として成長して生きていくというお話。けなげな娘役の黒木華。澪の才能を見込んで料理人に育て上げたのが天満一兆庵の主人が国広富之、その妻が安田成美。国広富之は既にお亡くなり、今は病弱な安田成美とふたり暮らす黒木華。安田成美って今もかわいくてキレイ~。風の谷ナウシカ~♪ 希望のアラフィフ。無愛想でごつごつした森本未来は色っぽい。男前だけどウジウジした不器用な役が似合う永山絢斗瑛太にはない純粋で猥雑で、これまた色っぽい。それで黒木華が毎週毎週、美味しい料理を作り、その料理のうまいこと、うまいこと・・・・、というストーリーだ。しかし、若干の既視感がある。黒木華の健気な姿にだ。見過ぎた私が悪いのだが。なんだか物足りない。平凡な日常みたいにつまらないのだ。その平凡さに「幸せ」はあるのだけど。刺激が足らない。パンチが欲しい。もちょっとはじけて欲しいと願ってしまう。と思っていたら、なななんと、ホームページに、「松尾スズキ」が出ると書いてある。えええええええ。ちかえもんの登場~?もうドキドキして眠れない。さすが藤本有紀。恐れ入りました。さて、番組のエンディングに料理コーナーがある。今どきキッチンで「澪」の衣装を来た黒木華ちゃんがレシピを紹介する。最近のはやりのおまけ情報コーナー。「家政婦のミタゾノ」のワンポント家事や、テレ東「釣りバカ日誌」の魚レシピと同じだ。しかしなんか違和感がある。キッチンが明るすぎて衣装が汚く見えるからか・・・。なんか残念。

「動物集合」 東京国立近代美術館工芸館 収蔵作品展

北の丸公園の隅っこに国立近代美術館の工芸館はあった。初夏の緑が眩しい森の奥に進むとオレンジ色のレンガ造りの洋館があった。収蔵品の中から動物をモチーフにしたものを集めて展示した「動物集合」。布、着物から始まり工芸、陶器、彫像、絵などあらゆるものが動物だ。素晴らしい作品群だった。鳥、魚、虎、猫、実在の動物に加え、架空の獅子や鳳凰なども加わり、多彩で飽きない。ちょうどよい分量が展示されている。疲れない。展示スペースに置いてある休憩用椅子もおしゃれ。人の少なさもあって、ゆったりと贅沢な空間。そのうえ入場料は210円。え?本当にそれでいいの?と申し訳ない気分になるほどお安い。宣伝もほとんどなされていないから、知る人ぞ知る展示。1600円出して見たブリューゲルに文句はないが、210円で見た動物たちもいとおしい。工芸作品は絵画に比べるとあまり見る機会もない。もったいないなあ。こんなに見事なのに。こんな美しい作品に触れ、眺め、一緒に暮らすことが出来たなら、それこそ贅沢だと思う。作り手の魂と自分の魂がいつしか行き交い時が流れる。そこに魂が宿るのだ。帰りに北の丸公園の散歩道をぶらぶら歩きながら、くすのきの大きな幹を眺めた。木陰のベンチでぼんやり深呼吸。誰もいないひととき。これまた至福。このくすのきは何年生きているのだろう。木陰も作品も一朝一夕にはできない。何でも簡単にできちゃう昨今、時間をかけた存在がいろいろ語りかけてくる。耳をすませと。

金沢 柳宗理記念デザイン研究所

金沢からは北陸新幹線で帰ることにした。久しぶりに来た金沢駅はキレイになっていた。いろんな駅がみんな京都駅みたいになっていく。いいんだか、悪いんだか。お天気が良かったので駅からぶらぶら歩いて行った。グーグル先生によるとちょうど20分。近江町市場を越えてしばらく行くと、目的地に到着、研究所がある尾張町は古い景観を残した地域で、オシャレなカフェやらお店がぽつりぽつり、控え目にあった柳宗理は、インダストリアルデザイナーで、金沢美術工芸大学の先生だった。お父さんが民藝運動柳宗悦。宗理デザインのバタフライツール(天童木工)が入り口に置いてあった。展示は少し。柳宗理デザインの食器や料理道具が並ぶ部屋があるだけ。シンプルで美しいデザインの食器が並ぶ食卓は新婚家庭を思わせた。食卓を囲む新婚夫婦の妄想が膨らむ。妄想は3つでおしまい。ハネムーン気分のようにあっさりと終わる。建物の中庭を挟んで隣が泉鏡花文学館になっている。モダンな部屋から出ると、瓦葺きの日本家屋。金沢っぽい。折角なので、昔好きだった犀川に出てみた、犀川は記憶にあるより小さい川だった。記憶はいい加減だ。いつのまにか、都合よく塗り替えられている。しかしだからこそ生きていけるのだろう。忘れることは大事だ。嫌な思い出がいつまでも鮮明に残っていたら、つらすぎる。私の金沢の思い出もいいとこしか残っていない。近くまできたので有名な飴屋さん、俵屋へいく。俵屋は変わらぬ佇まいらしい。引き戸をあけるとその音でお店の人が出てきた、試食用の飴を慣れた手つきで楊枝に巻いてくれる。頂いてしまったので買って帰ることにした。金沢と東京は北陸新幹線で2時間28分。あっという間に東京だ。世界も、日本も、どこへ行っても同じような風景が増えた。どこに行っても同じでつまらないなあと思う。これは私のワガママなのだろうか。

日テレ「母になる」

沢尻エリカ様の額の曲線を見るために見ている。ためいきが出るカーブ。美しい。エリカ様は美しいだけじゃない。あの完璧な瞳から涙がぼろぼろ流れ出す。感動せずにはいられない。お話はシリアス。生後3歳で母親の目の前から消えた我が子が、8年後に見つかり、戻ってきて暮らしだす。行方不明だった8年間、息子には別の「育ての母」がいた。生みの母親が沢尻エリカ、育ての母親が小池栄子。「母親とは?」というテーマ。「八月の蝉」を思い出した。あのときの小池栄子は、女性ばかりの奇妙な施設で主人公井上真央と一緒に育ったワケ有り娘。今回の小池栄子は育ての母の「生んでない」という弱みと、「息子にとっての母親は自分だ」という自信を強烈に演じている。おっぱいが大きいキレイな若い娘からカッコイイ女優さんになっている。しかーし、エリカ様は当たり前だが、全然負けていないのだ。どこから来るのか全く分からない、あの「透明感」。映画「パッチギ」の時からまとっている独特のオーラは今も健在。全くイケテない普通の服を着ても漂う「気品」、儚げなのに筋が通った、しなやかさとひたむきさ。夫役の藤木直人に見せる、甘えた顔やすねた顔、もう目が離せない。タイプの違う美女ふたりが競演。母親とは何だろうと畳みかけてくる。女性とは母親になると一皮も二皮も向けて、大きく進化する人が多い。進化した女性は無敵の心を持つ。守るべきものを持つ人間は強い。まあ、母親にならずとも、女性は本来強いもの。気の弱そうな女性はいるが、本当に弱い女性には会ったことがない。女性は強いからこそ美しいのだ。