オペラ「魔笛」東大和市民会館ハミングホール

国立音大のお膝元のオペラとあって学生達も参加していて若々しくて楽しいオペラだった。演出太田麻衣子と台本大山大輔のセンスがいい。謎の黄色のボディスーツの男性が登場。背中にはHの文字。「叡智」らしい。小太りの男性3人の童子。コミカルな動きに金髪のかつら。ハーモニーは完璧。彼らが舞台に現れるたび笑みがこぼれる。ウサギとリスに扮した小さなこどもたちは、最後にパパゲーナの子ども達になって現れた。かわいくて、思わずジジババの気持ちになってしまった。魔笛はやはり夜の女王。あの高音は迫力満点。映画「アマデウス」を思い出した。「魔笛」は、モーツアルトの最後で最高のオペラらしい。親しみやすいが完成度は高い。考えてみれば、オーケストラのナマ演奏にミュージカル。オペラはとても贅沢な娯楽。敷居もお値段もお高くてなかなか来れないのだか、感性が多少なりともあるうちにもっと見たいものだ。東大和は遠かった。でも日曜日、足を運んだかいはあった。

タクシー運転手 約束は海を越えて (2017 韓国)

韓国で大ヒット、1200万人を動員したという映画。光州事件のお話。ビンボーなタクシー運転手が高額のギャラに惹かれてドイツ人ジャーナリストを乗せてソウルから全羅南道の光州に行くという話。タクシー運転手を演じるのが韓国ナンバーワン俳優のソン・ガンホ。どこにでもいそうな普通の韓国人の中年男性。奥さんを病気で亡くし11歳の娘と暮らしている。娘に新しい靴さえもなかなか買えない冴えないパパ。光州で起こっていることなどなにも知らぬまま、片言の英語でドイツ人と光州に入る。光州は既に軍が支配していた。戒厳軍が学生を虫のように殺していた。目の前の惨劇に、何も知らなかったタクシー運転手は驚き怯える。最初は学生中心だった民主化運動。学生を弾圧する軍の暴力に、市民が耐えられず、怒り、抵抗を始める。警察軍部は交通と通信を遮断。光州の惨劇はソウルの人間さえ知らない。ドイツ人ジャーナリストとの決死の脱出。スリリングに細やかに描かれる。ソン・ガンホはじめ俳優陣の演技が凄い。ストーリーも面白い。80年代の韓国の風や匂いが画面から溢れてくる。光州事件の予備知識がなくても胸が詰まった。80年代の韓国近代史。今の韓国の若者だって知らない人は多いのかも。歴史は大事。時代を見る力は歴史で育まれる。日本でも、こういう映画あるのかなあ。歴史に向き合うチャンス、ぼ〜っと生きてると、簡単にスルーしてしまう。こんな大人じゃいけない。そのうち本当にチコちゃんに叱られそうだ。

フジTV「コンフィデンスマンJP

春ドラマで早々に始まったのがこれ。早くも3回目。長沢まさみ小日向文世東出昌大が出る詐欺師の話。脚本は古沢良太。明るくてスピード感があって「リーガルハイ」みたい。主演の長澤まさみが昔は嫌いだったが、大河ドラマ真田丸」から好きになった。私が変わったのではなく、向こうが変わったのだ。はっちゃけたのだ。長身でスタイル抜群だから、どんな制服も似合う。次から次へとコスプレする長澤まさみを見るのは楽しい。小日向さんは遠い昔に既にはっちゃけているが、東出君は、まだはっちゃけてはいない。でもボクちゃんは、はまり役。困って怒るだだっ子役はお得意。「あなそれ」の波瑠の怖―い旦那さん役もそうだけど、大きな体に隠れた「幼児性」を表現するとき、いい味がでるみたい。視聴率はイマイチらしいが、悪い人が騙されるドラマは痛快。月曜日の夜に求められる軽さだね。嘘に厳しい昨今。急に嘘が溢れ出したわけじゃない。昔から、嘘はたくさんあった。ただ今はそれがみんなにばれるようになっただけ。いや、バラせるツールが発達してしまった。繋がり過ぎたね、私達。誰でも嘘はついている。つかずに生きていけるならそれにこしたことはない。神様は見ている。そう思って嘘はつくしかない。

丸谷才一「夜中の乾杯」文春文庫(1990年)

「まるやさいいち」の名前を知ったのは18歳のときだった。友達になった人が読書家で、好きな作家はと尋ねたら「まるやさいいち」だと言われたのが始まりだった。彼女の部屋は本が一杯並んでいた。ちょっと難しそうな本ばかりだったから、丸谷さんの本も私には無理だろうとしばらく読んでいなかった。何年かたって「女ざかり」を読んだ。面白さもそうだが、文章が滑らかでびっくりした。ひっかるような難解な言い回しが一切ない。でも内容は深くて濃くて面白い。本物とはそういうものかもしれない。このエッセイも楽しい。実家の古い書棚から持ってきたのだが、この本が出版された当時のことを思い出した。知的であることをあの頃は願っていたはずなのに、気がつけば知的にならぬまま下り坂。しかしそれでも生きている。美味しいお酒を飲みながら、丸谷才一のエッセイを読んで過ごす時間は至福。生きる喜びである。丸谷さんは2012年に亡くなっている。うかうかしていられない、人生はあっというまだ。

スリービルボード Three Billboards Outside Ebbing, Missouri (2017)

 

とにかく話が面白い。先が読めない展開であれよあれよと引き込まれていく。気がついたら映画が終わっていた。うーん。唸ってしまう映画だ。アメリカ南部の田舎町。娘をレイプされて殺された母親ミルドレッドが、犯人が捕まらない状態に腹を立てて警察相手に暴れる話である。ミルドレッド役のフランシス・マクドーマンドが凄い。強い。でも共感させる。ダメダメ白人警官ディクソン役のサム・ロックウェルがこれまた凄い。やばい。両者の演技が素晴らしい。何にもない田舎町の閉塞感。元旦那が自分の娘とほぼ同い年の19歳の娘とつきあって家を出ちゃってたり。ミルドレッドの暴れっぷりも、こりゃ仕方ないと思ってしまう。だか一方で、やり過ぎだよとも思ってしまう。泥沼のような田舎町にも敵ばかりがいるわけでもない。後半の思いもかけぬ展開に息を飲む。見終わって漠然と「赦す」という言葉が浮かんだ。ミルドレッドは果たして赦したのかどうかは分からない。ただ簡単にはゆるせないことを「ゆるした」とき、「ゆるしてもらった」とき、何かが始まる。後味爽快とは言いがたいが、見たら誰かと語りたくなる映画かも。

NHK大河ドラマ「西郷どん」第12話「運の強き姫君」

林真理子中園ミホは「下流の宴」のコンビ。「下流の宴」は意地悪で面白かったから、今回の大河もちょっと楽しみ。さてギョロ目の西郷さんを細目の鈴木亮平はどうなんだろうと思っていたが、ここまで鈴木亮平は魅力的で、人たらしな西郷さんを素敵に演じている。橋本愛演じる西郷さんの最初の嫁「須賀」も切なかった。橋本愛はいいなあ。今回の「篤姫」を演じる北川景子もよかった。「家を売る女」の北川景子も良かったが、「篤姫」は完璧だと思う。美貌と透明感と気品。薩摩のお姫様が御台所になるという大事な役どころ。今一番ぴったりなのは彼女しかいないと思う。「西郷どん」は10年前の大河「篤姫」とキャストが結構かぶっている(松坂慶子瑛太)。見ている途中に、あのときは誰だっけ?と思い起こしてしまう。前の「篤姫宮崎あおいも良かったが、北川景子の方が好きかもと思ってしまう。一方、松坂慶子が演じた幾島、今回は斎藤由貴が降板して、南野陽子が演じている。「にっぽんの芸能」で華やかに和服を着こなしていた南野陽子。コミカルに幾島を好演。スケバン刑事つながりで幾島役は斉藤由貴から南野陽子へ。終わってみれば、南野陽子の幾島はなかなかいい。斉藤由貴じゃなくて良かったのかも。不倫でも降板しなかった渡辺謙の斉彬様は迫力満点。ひとりハリウッド。存在感が凄すぎる。斉彬のカリスマとはこんな感じだったんだろうかと思ってしまう。やっぱり大河は男主人公の方が面白いね。

三木清「人生論ノート」新潮文庫

人生も後半戦。下り坂に入り、三木清の「人生論ノート」を読んだ。昭和16(1941)年の本である。哲学者三木清が人生のいろいろなテーマについて語っている。難解さは少しあるが、短いので読めた。執筆時は治安維持法の時代。苦心して言葉を選んでいると後から知った。死について、幸福について、懐疑、孤独、噂、虚栄、旅、娯楽などなど。時代を越えて語りかける言葉に震えた。「幸福を武器としてもって闘う者のみが倒れてもなお幸福である」「鳥の歌うが如くおのづから外に現れて幸福は他の人を幸福にするものが真の幸福である」と。しびれる言葉が続出。本の最後に青年期(1920年)に書いた「個性について」の小論が掲載されている。「幼稚な小論」と本人は言っているが、まっすぐ天に伸びる若木のように、瑞々しく力強い。それから四半世紀。戦後まもなく刑務所で三木は亡くなる。享年48。病死だった。もっと生きるべき人だった。薄っぺらい本だ。だがその中に本物の知性の迫力があった。すぐ忘れちゃうから何度でも読まないと。大切なことは見失いたくない。闇を照らす一冊。