フォードVSフェラーリ Ford v Ferrari (2019)

ル・マン、カーレースのお話。アメリカフォードが倒産のどん底からイタリアフェラーリに勝つという話だが、実際に戦うのは、フェラーリというより、同じフォードの上層部。単純なストーリーだがなかなか楽しい。カーレースの世界を私はよく知らない。レースシーンの信憑性は不明。ただ終わって見れば、車好きな男たちが大好きになっていた。男の人はいくつになってもブーブーが好きな男の子なんだなあ。マットデーモンは肉厚のアメリカのおじさんになっていたけど、素敵だった。彼が乗るクルマがまたカッコ良かった。クリスチャンベイルは車バカの天才。偏屈なんだけどかわいいイギリス男を好演。ずっと粗末なホーローカップで紅茶を飲む。映画全体の色調がほんのりしてて郷愁を誘った。アメリカっていいな。そんなことを久しぶりに感じた。もう四半世紀も忘れていた何かを思い出した。マットデーモンとクリスチャンベイルのせいか?夕日のドライブに行きたいな。カッコいい車にも乗りたいな。カーレースを見に行きたくなってしまった。

主戦場(2019)

友人が面白かったというので見てみた。いやあ、面白かった。あっという間に2時間過ぎた。主戦場というタイトルだが、これは慰安婦問題を巡る戦い、バトルフィールドのお話。アメリカの映画なのである。慰安婦問題は途中から訳が分からなくなった。歴史の中で真実は変幻自在。テレビの言うこともあてにならないし。なぜアメリカで慰安婦像が次々と設置されるようになったのかとか、愛知県トリエンナーレとか。誰かに絡まった糸を解きほぐして欲しいと思っていたのだ。こういうことだったんだ。映画は早い展開でさまざまな人のインタビューで繋いでいく。そのスピードに最初あたふたした。でもその疾走感が良かった。私たちの乗る船はとんでもない船長たちが舵をとっていることもよくわかったし。この映画がすべて正解ではないが、それでもこの映画が伝えたいことは私の知りたいことでもあった。船が沈没するならまだしも、勝手な人殺しに加担するのは本当に嫌だ。船から降りるか、船長達を首にするか。今は後者の方が難しいのか。

小川眞「キノコの教え」岩波新書(2012年)

キノコは低カロリー。なので毎日のように食べている。キノコが菌類だとはなんとなく知っていたが、植物の中に菌類は含まれていないとは知らなかった。無知の極まり。スーパーで野菜の隣に並んでいても出自は全然違うのだ。こんなに年をとっても知らないことが山ほどある。だから一生勉強てすな。さて、この本はキノコの先生が菌類の進化から毒キノコの話や人類の共生に至るまで、平易に語っている。木は菌類と仲良くすることで生きているということ、炭が菌類を助け木を助けることなど、チコちゃんも知っているかどうか。そして2011年の東北の震災。海岸の松林は消え、キノコはセシウムを吸収するようになった。地球の変化をキノコたちは私たち以上に敏感に感じているらしい。菌類は動物と同じように誰かの栄養をもらわないと生きていけない。でも動物と違うのは相手と共生していく。キノコの先生の言う通り、私たちもこれからは菌類的に共生の道を歩むべきなのだと思う。たとえ、簡単ではなくても、もう殺しあっている場合ではない。お互いを必要とする関係を多くの人と結ぶこと。キノコの菌糸が絡まるようにね。

井上靖「西域物語」新潮文庫(昭和52年初版)

中央アジアに行ってみたい。漠然と以前からそう思っている。シルクロードという魅惑的な言葉を聞くと今も喜多郎の音楽が耳に流れる。井上靖天平の甍や敦煌のせいかもしれない。なぜか心ひかれる西域の話を読んでみたくなった。井上靖の文章が好きだ。大き過ぎず、劇的過ぎず、ちょうどよい具合のロマンがある。読んで特に行きたいと思ったのはイシククル湖だ。湖の底には都市が沈んでいるという。美しい湖だけが歴史を知るか。西域はたくさんの歴史を語ることなく多くを謎のままにして、現在に至っている。付録のアフガニスタンの話にバーミヤンの石窟の話がある。タリバンが破壊したことで有名になったが、この辺りは蒙古やアラブの侵攻で何度も破壊されていたのだね。最近亡くなった中村哲医師のことも思い出した。殺戮のやまない大地ゆえに、祈りがまた生まれるのだ。本は古い。この辺りも今はだいぶ様子が違うのだろう。ただ果てしなく大地は続くし、過去から現在につながる悠久の歴史は不変だ。私自身が砂と化してしまう前に西域の夕日を浴びてみたい。

ジョーカーJoker(2019)

話題の映画をやっと見た。すさんだ街、ゴッサムシティのピエロがジョーカーになるお話。主人公アーサーは心に病を抱えていた。ピエロのメイクをして街角に立つサンドイッチマンの仕事をしている。何も悪いことはしていないのだが、気味が悪い人である。それもあって街のならず者にぶちのめされたりと、ひどいめによくあう。家に帰れば、神経症の老いた母がいる。家族は二人。心やさしい息子だが、社会的には落伍者。ちょっといっちゃっている。市は財政難から福祉サービスを打ち切る。街はますます荒れていく。アーサーもだんだん手に負えない人になっていく。全く救いのない話だが、不思議と惹き付けられていく。美しい映像だし、アーサーは気味悪いけど全くの悪ではない。世界が持つ者と持たざる者の隙間を広げていく今、ベクトルは愛と平和、融和から遠ざかっていくばかり。誰もがジョーカーだし、いつジョーカーになるかもしれない。世界はそれでも動きを止めない。はて、私たちはどうしたらいいのだろう。正解はない。

NHK朝ドラ「スカーレット」

久しぶりに朝ドラをみている。「トト姉ちゃん」以来。ここ最近のはだいたい最初の2週間で脱落。辛い時代が続いた。今回は主演の戸田恵梨香が陶芸家になるというお話。貧しい家で育ち健気に生きる主人公喜美子。親の借金を払ったり、美術学校もあきらめて信楽へ帰ってきたり、なかなか苦労しているのもいい。定められた運命の中で最大限の夢を見る。当たり前のリアリティもある。奇妙な関西弁もないし快適。イッセー尾形演じる「フカ先生」もいい。拍子抜けするふわふわの先生、「ええよ~」。頑張りすぎない緩やか
さ、でもちゃんと自分のために頑張る。でも夢を追っている人だけが偉いわけではない。いい台詞がさりげなく満載。スーパーフライの「フレア」も伸びやかで明るい歌声。でも語る世界は甘くない。大人が優しい時代になったけど、世の中は甘くない。誰かを追い詰めてはいけない。でも自分は多少自分を追い詰めないと成長しない。成長の先に見える景色は格別だ。誰にもその景色はある。見に行かないのは惜しい気する。

日本テレビ「同期のサクラ」

遊川和彦脚本。「過保護のカホコ」「ハケン占い師アタル」と同じ系列のドラマ。高畑充
希が銀縁メガネと地味スーツを着た変わった女の子サクラを演じる。大手ゼネコンに同期
で入社した5人が研修でチームになる。サクラはハガネの心でマイペース。軋轢を生みだすことに躊躇がない。そんなサクラはそれぞれの部署で働きだした同期を次々と変えていくというストーリー。今のところはそういう話だ。高畑充希演じる「サクラ」の同調圧力を無視した行動、忖度しないところに、見るものはドキドキしながらも、気持ちよさを感じてしまう。そもそも、今流れている、よどんだ空気を変えてほしいと思っている人は多い。でも、サクラにはなりたくないし、なれない。ドラマはその辺りをくすぐっていく。ただ革命家には迫害がつきものだ。ベッドで横たわったサクラに一体どんなことがあったんだろう。勇気を持って戦う人間になれなくても、せめて応援くらいはしよう。それくらいの勇気はあるよ