磯田光一「永井荷風」(講談社学術文庫)

古い書棚から引っ張り出してきた色の変わった文庫本。「永井荷風」の評伝だった。荷風の生涯を、荷風の作品と時代、暮らしを丁寧に拾い出し、緻密に分析した一冊。荷風は裕福な家の長男として生まれ不自由なく育ち、若い時分はアメリカとフランスに渡っている。政府高級官僚から実業家になった父と、芸術・文学に傾倒した息子の荷風。十分過ぎる父の恩恵を受けつつ離れていく荷風。アメリカではのめり込んだ女性から逃れ。親の勧める相手と結婚してみたが早々に離婚し。馴染みの芸妓との結婚も長続きはしない。荷風は本当に「個」であり、「孤」を求めた。だからこそ、素人女性にはない「清廉さ」を玄人女性から感じ、なれ合いや束縛を忌み嫌った。ひきかえに孤独も不安も甘受した。貫いた。徹底した「個人主義」が偏屈で性格の悪い荷風を作った。筆者磯田氏は、荷風の幾重にもなる複雑な心理構造や行動を文献から丁寧に紐解く。過度な感情を入れることはない。ただ変人荷風の理解しがたい「純粋さ」を見せてくれた。磯田光一氏は昭和62年に亡くなっている。今から30年以上前だ。遠い昔の文庫本、色が褪せるはずだ。でも、今読んでも、心に新たな光りが当たった気がする。荷風自身が色褪せないのでもあるが、荷風に光をあてた磯田光一の分析にも、時代を越えたメッセージがある気がする。