37セカンズ(2019)

NHKのBS でやっていた同名のドラマを見た。良かったので映画も見に行った。テレビ版を見なければもっと感動したかな。映画は車椅子の女性が母親から自立成長していく話。主演の佳山明はオーディションで選ばれた新人。ご本人も車椅子生活らしくリアリティーがあった。映画は、後半にテレビ版にはない展開があった。オールアバウトマイマザーを思い出した。母の自立の話でもあったんだね。それにしてもタイまで介護士の彼と一緒に行くくだりは、テレビ版を見ているとスムーズだけど映画だけ見ていると強引な感じかするのではと思った。最後に美人編集者板谷由夏にまた会うところもどうかなあと思った。だが、それでもなかなか良い映画だと思う。渡辺真起子がもっとみたか。彼女のカッコ良さがこの映画を見たいと思った原動力だったから。まあ尾美としのりに会えただけでいいか。相変わらず上手いな。

リサ・ラーソン展 銀座松屋

コロナウイルスで自粛モードの中、銀座松屋の会場は盛況だった。展示よりも何よりもグッズ売り場がだ。展示スペース並みに広い売り場で、ところ狭しとリサ・ラーソンのキャラクターグッズが販売されている。展示の最後にリサラーソンのビデオレターが3分流れていた。「もっと若かったら日本語を習う」とか、親日ぶりをアピールしていた理由はこれかと、ちょっと笑った。こんなにみんなが買ったらニコニコするはずだ。チケットにも載っている丸いライオン。意外に大きい。お尻も丸い。かわいい。小さな手ひねりの鳥やら猫、犬、やっぱりかわいい。抽象作品も彼女独特の線と点の使い方、色合い、厚みがいい。素朴な造形が粗雑に見えないセンスの良さというか、やっぱり私もリサが好きだ。スウェーデンにも行ってみたい。ビデオでリサが、古い服を手にしながら、モノを大切にしたいと言っていた。安いモノを使ってどんどん捨てる暮らしももう飽きたな。自分も捨てられるくらい、古びてきたからかもしれない。いきおい、「日々の暮らしを愛する」とか言ってしまいそうになる。愛する対象に飢えている。愛の応用範囲が広い。とりあえず、買ったリサ・ラーソンの布地で何か作ってみよう。手仕事は愛をう作り出す。

白洲正子「日本のたくみ」新潮文庫(初版1984年)

白洲正子が日本の工芸品作家を訪ねるエッセー。彼女の審美眼の高さは言うまでもない。驚いたのは、彼女でさえも職人さんたちに取材するのは困難だったということだ。美貌とお金。好奇心と行動力。元華族のお嬢様でも駄目は駄目というのが、ちょっと嬉しい。職人の一途というか、世俗から距離を置く人間たちの矜持というか。俗にまみれているとあこがれる。かなり古い本なのだが、登場する人の何人かは今もご存命。私でも知っている有名人もいる。さすが。工芸品がいいのは暮らしに取り込めるから。生活とは縁遠いところで輝くものもあるが、杓子や器、着物、砥石など、日常にあるのが嬉しい。男の人は収集したいらしいが、女の人は使いたいらしい。男女差は面白い。先日、亡母の鏡台からつげの櫛を持ってきた。使ってみると静電気は起こりにくいし、髪はさらさら。プラスチックのブラシは捨てた。忘れていたものが自分に帰ってきたようだ。大切にしなきゃいけないものを思い出せて良かった。色々私たちは見失っているからね。

2月文楽公演「新版歌祭文/傾城反魂香」国立劇場小劇場

このトシになって初めて人形浄瑠璃を見た。お昼の第二部を鑑賞。予想以上に驚きがあった。まず人形が意外に大きい。頭は小さくて10頭身。三人の男性が操作する。主な使い手だけが顔出しだが、あとは黒子である。見慣れてくると顔出しの人さえ気にならなくなる。不思議だなぁ。次に語る義太夫と三味線が舞台右手の回転扉から登場すること。途中で入れ替わるのだが、回転扉のスピードがわりと早い。忍者的。義太夫の渋い声と、生の三味線の響き。重なり合うとドキッとするほど色っぽい。そこに人形の巧みな動きが絡まる。無機質な表情の人形に血が通う。舞台の左右袖に字幕が出るので助かる。世話物の切ない話も、生身の人間でなく人形だからそ響くのかもしれない。無機質な表情に観る人それぞれの思いが重なる。前に人形浄瑠璃の予算削減をしようとした大阪の橋下知事の顔が浮かんだ。もったいない。自分が古くなったせいか、古典的なモノに愛着を持つようになった。もういつ死んでもおかしくない。限られた時間に、人形浄瑠璃はもう一度見られるかなあ。いつも明日が来るとは限らない。さよならの準備は、よりよく生きるための秘訣かも。早くコロナがおさまりますように。

パラサイト(韓国2019)

アカデミー作品賞の話題作。周囲はいまいちだと言う人が多かったが、私は面白かった。「万引き家族」より好きかも。映画は韓国の格差社会をコミカルに描いている。後半は流血でホラー。展開の雑然さが韓国っぽい。はっきり語らず余韻を持たせるのが好きな人には逆にこの辺りがマイナスらしい。ポンジュノ監督は「殺人の追憶」を見た。アジアンノアールで、こっちの方が日本人受けはいいかも。ポンジュノ監督は今、韓国の公安には左派の危険分子としてマークされているとか。日本でもそんな監督がいるのかなあ。主演のソンガンホは私が見る韓国映画にことごとく出ている。いつも揺るぎない存在感というか、色んな顔を見せてくれる。今回もお気楽なオヤジから激情の人まで。日本で言えば誰だろうね、今は亡き大杉漣さん?かなあ。映画後半、大雨で家族が坂の上の邸宅から半地下の我が家に逃げ帰るシーンが心に残った。大量の雨が低い方に流れ、どんどん濁流になる。汚水が流れ込む家から逃げ出して体育館で一夜を明かす。翌日、坂の上の邸宅ではガーデンパーティー。単なる対比の面白さだけてはない、何かがひたひたと迫ってくる。十分すぎるほど熟した何かがね。衣食足りて礼節ん知る。お金はシワを伸ばすアイロンみたいなもので、豊かさは心をキレイにする。もっともだ。それにしても、我が国は「翔んで埼玉」だ。「翔んで埼玉」が悪いのではない。面白かった。ただ、これが昨年を代表する日本映画だと思うとガックリなのだ。いつから私達はこんなにドメスティックになったんだろうね。

ロード・オブ・カオスLords of Chaos(2018イギリス・スウェーデン・ノルウェー)

東京ノーザンライツフェスティバルの映画。この催しも10年目。すっかりメジャーになったせいかチケットの売れ行きは好調みたい。映画はノルウェーのメタルバンド、MANHEM のお話。メタル系の音楽に疎いので実際の話とどれくらい離れているのかは全然分からない。悪魔崇拝系と言われてもキリスト教の人でもないのでピンと来ないし。ただ堅実で真面目な国ノルウェーといえども、荒ぶる魂は存在するのだなあと思った。青い目で金髪の彼らは悪魔的にするために髪を黒く染める。黒髪の日本人は金髪に染めて、荒ぶる魂を表現する。面白いものだ。さて、映画はR18。血が激しく飛び散るし、ナイフで自らの体を切り裂くし、あげくのはてには、ナイフで背中を何十回も突き刺すし。過激な映像が結構あって、目を覆ってしまった。とても見ていられない映像を久しぶりに見た。ボーカリストの彼、Dead と森の中をさまようシーンが美しかった。若者の危うさとは、小さなボタンのかけ違えのようなもの。はじまりは些細でも、やがて本人たちでさえ手に負えない狂気になる。その過程が流れるように描かれている。飽きなかった。悲惨なのたけど、終わった時はスカッとしてた。不思議な作品。メタルも悪魔崇拝も特別なことじゃない。誤差の範囲。それぞれの生きていくための必要な道具。生きて生きて皆死んでいく。誰が死んでも世界は続くし。

NHK「心の傷が癒やすということ」

全四話のドラマで昨日終わった。柄本佑在日韓国人精神科医師、安先生を演じる。阪神大震災から25年。話は当時震災で心に深い傷を負った人々をなんとかしたいと必死で取り組んだ医師のドラマだった。最終回で癌におかされた安先生が言う。「心の傷を治すには、ひとりぼっちにさせないこと」と。なるほどなぁと思った。災害だけではないが、大切なひとを失う悲しみは想像以上に深い。隙があれば、自分を責めたり、自らをかえりみなくなったり、マイナス方向に進みやすい。そんなときに救ってくれるのは、そばで心配してくれる他人の存在。正しい。それにしても、柄本佑が見事に安先生になので、涙が出た。奥さん役の尾野真千子が病室で泣くシーン。背中を優しく叩きながら、「ここで泣いたらええ、家では泣けへんから」と言う。自分が尾野真千子になって一緒に泣いてしまった。生きている限り悲しみは尽きない。だから寄り添って生きていかねばならない、人は本当に簡単に壊れる。簡単なことをすぐ忘れてしまうが、人はひとりでは生きていけないのだ。