新田次郎「武田勝頼(一~三)陽・水・空の巻 講談社文庫(昭和58年初版)

先日、甲府武田神社と韮崎の新府城跡に行った。武田信玄のことも、勝頼のこともよく知らなかったのに。ただ春の晴れた日に行った武田ゆかりの土地は、新緑の香りに満ちて美しかった。そんなこともあり、古い書棚で眠っていた3巻からなる長編を手に取ってみた。新田次郎といえば山岳小説というイメージだったが、この渾身の歴史小説は読みごたえたっぷりで、諏訪出身の作者の熱い思いも滲み出ていた。カリスマ信玄の息子勝頼は無能だったわけではないが、名家武田家の親類衆に最後まで翻弄されて無惨に終わってしまった。あれだけの強さを誇った武田軍がバラバラと崩壊していくさまはなんとも悲しく示唆的だ。小さなことの掛け違いから崩れていく組織を見ていると、今ある大きな組織の脆さも予想以上に深刻なのかもしれないと思う。駄目だと知りつつ、手をこまねいたまま滑り落ちていく今の私たち。もう誰にも止められないの?私たちのDNAにはそういう何かがあるのだろうか。誰かの頑張っている姿に励まされたりするんじゃなくて、目の前の現実と戦わなけば。春は終わり夏が来る前に。

NHK土曜ドラマ「今ここにある危機とぼくの好感度について」

脚本は渡辺あや。意外だったが、だから好きなのかぁと思った。主役は松坂桃李君。今どきの青年がアナウンサーを辞めて大学の広報に入って、論文データ改ざんなどのトラブルに対応する話。風刺一杯のドラマで今の世相を描いている。モノが言えないテレビ報道に代わってここ最近のドラマはセリフが濃い。言いたいことを登場人物に言わせるやり方は、強権政権下にはよくある手法。過去の歴史の中の出来事だと、あぐらをかいていたらビックリ。世の中はトンでもないことになっていた。コロナ禍で今まで見えていなかった不正や崩壊が明るみなった。おかげて安穏と暮らしていた私たちはその損失の大きさに暗澹たる気持ちになっている。毎日続く訳わからない会見、辟易している私たちには、まだ真実を語り出した学長の松重豊さんは現れない。情けない主人公は、私たち自身でもあり、彼が成長していく姿に自分たちの可能性を見ることが出来るのかもしれない。今の暗黒の現実は、主にジイさんたちが懸命に守っている。ジイさんを叩けば済むのか。排除したら良くなるのか?まだ自分にも何かできるはずだと信じたい。このドラマにそのヒントが隠されているといいのだが。とりあえず、コロナ禍を乗り越えて生き残こらねば。死んだらそれこそアイツラの思うツボだ。

 

鈴木大拙館

金沢に来るのは3年ぶり。鈴木大拙の本を読んだのはもっと前だ。内容は忘れたが、ここに来たいと思ったことだけは覚えていた。偶然目にした建物の名前に導かれ、雨の日に鈴木大拙館を訪問した。コロナ禍で観光客はいないのではと思ったが、予想に反して盛況。あまり大きくない建物に次々と人がやって来る。中は、資料の部屋、学習の部屋、思索の部屋の3つだけ。建物の周りに水の庭が広がっている。受付の人を始め、中にいる人がいかめしい感じなのは、哲学だからか。おかげで館内は静謐さが保たれている。学習の部屋で雨だれを見ながら本を読んでもいい。次に進むと浅い水面の外に出る。その一角にある正方形の部屋が思索の部屋。四方に開いていて、風が通り、外に向かって座るとさざめく水面が見える。思索の芽がむくむくと湧いて来そうなところ。ゆっくり座って退館。こんな場所がある金沢の街はいいなあ。ここの他にも魅力的な空間が金沢にはたくさんある。お城を中心にした街は、美しくて広々として、適度に活気もある。日本の良いところを凝縮したような街。また訪れて歩きたい。

藤沢周平「密謀(上)(下)」新潮文庫(昭和60年)

藤沢周平の歴史物は初めてだった。江戸モノにはない緊張感があって、少し戸惑った。時代は秀吉から家康への頃、上杉景勝直江兼続の話だ。波乱万丈の時代、景勝と兼続はただの主従関係以上の仲で、このふたりのやり取りがこの話の魅力のひとつだった。自分が兼続になった気分で景勝を見つめると、上杉景勝は魅力的だし、上杉家というのも質実剛健でいい。石田三成やスパイである草の者たちの話が加わって、一風変わった戦国歴史モノになった。上杉家の話のせいか、家康の描き方が若干手厳しいが、それも面白い。上杉家が無駄な戦いをしないという心情は、今も東北の人たちの気質にどこか通じているような気がする。真っ正直な清々しさ。今こそ大事にすべき気質のような気がする。損得ばかりに目がゆき、利ばかりを追い求めた先が今の世の中。何かと憂鬱になることが多いが、責任は自分自身にもある。歴史を振り返り今一度大切なものを確認するには良い時期かもしれない。マスクの下でもモノは考えられるのだから。

福岡 柳川水郷川下り

桜の頃に来れば美しくて何度も来たくなっただろうに。船頭さんは何度もそう言ってくれた。遠い昔に大林宣彦監督の「廃市」という映画を見て、いつか来たいと思っていた。映画の内容はすっかり忘れてしまったけど、尾美としのり小林聡美が出ていた気がする。掘割を進む船の映像がなんとも退廃的で、小林聡美がしっとりと色っぽっかったのが心に残っている。今の柳川はコロナもあり、観光客はほとんどいなかった。たったふたりの客を乗せた船とすれ違う船もない。アンパンマン顔の船頭さんは、いい声で1時間の船旅を楽しく盛り上げてくれた。関ヶ原の戦いのご褒美に貰った筑紫の土地に、柳川城の周囲に巡らしたお堀は、12年かけて作ったとか。400年前のお堀をお船でゆらゆら下る。景色は古びた風情を残すところもあるが、衰退した地方の町っぽいところもある。時間が止まったような景色に、しばしぼんやりと漂った。終点の御花では無人のお庭を見て帰る。こんなに閑散としていては、観光業の人たちにしてみれば大変だが、人ごみを避けたい方にしてみれば最高だった。大林さんも逝ってしまった。新しい時代がきたね。一方では、古い人たちが的外れなことをして自ら退いていく。世代交代。疫病に見舞われて暮れゆく国ニッポンの今の姿は、寂れた柳川の川下りとどこかつながる。また桜の頃に訪れてみたいな、船頭さんの言うとおり美しくてたまらないよね。

半藤一利編著「昭和史が面白い」文春文庫(1997年)

この本を読むのは2回目。書棚に同じ本が2冊あった。亡父は同じ本を買ってしまったことに気がついていたのだろうか。今となっては闇の中。さて、これは先日お亡くなりなった半藤さんの対談集。最近は記憶がすぐ消えるので2回目でも楽しく拝読。半藤さんの快活明晰な物言いを思い出しながら読む。帯にもあるように、昭和はすごい時代だったとあらためて思う。戦争で負けてすっかり失った我が国は、戦後20年弱でオリンピック。戦後40年でとんでもない経済大国になった。こうなると平成の平穏ぼんやりは、昭和の波乱万丈のおかげかもしれない。さまざまな角度から昭和を語るこの本は面白いだけでなく、今では聞けなくなった証言集でもある。貴重な資料を読んでいるうちに、昭和に生まれた私は幸運だったかもしれないと思い出した。発展とともに成長してこれたのだから。新しい時代、新しいウイルス、新しい生活、これからどのようにして崩壊していくのだろう。壊して作ってまた壊す。生命は破壊と再生を避けられないのかなあ。来たるべき世界におそれおののいている場合ではない。たとえ破滅があるとしても、歩みを止められないことは、昭和の歴史を見れば明らかなのだから。

ノマドランドNomadland (2020米)

ヤマザキマリさんのtweetで、急に思い立って見に行く。主演のフランシス・マクドーマンドは「スリービルボード」の時も驚かされたが、今回も衝撃だった。キャンピングカーで旅をして暮らす高齢者たちの話だ。旅をして暮らすと言えば、楽しそうだが、彼らは高齢になっても働き続けている。アマゾンの配送センターの仕事や、国立公園のトイレ掃除、工事現場や、ファミリーレストラン。エンパイアと呼ばれるアメリカの中西部の工場の町で夫と暮らしていたファーン。夫を亡くしたあと、工場も閉鎖、町も消滅して、彼女はキャンピングカーで暮らし始める。家はない。ホームレスではなく、ハウスレス。ファーンのような暮らしをする人たちがアメリカにはたくさんいる。皆、荒野で出会い、ひととき一緒に過ごして、「またどこかで」と別れる。自由の国アメリカ。絶対的な自由を求めていく姿に、覚悟のない私は恐怖を感じてしまう。映画は静かに美しく、何が起こるわけでもなく、淡々と過ぎていく。キャンピングカーの暮らしは、悲惨ではない。出会う仲間との語らいも、関わりも素敵だし。そこには砂漠の果実のような瑞々しい喜びもある。でも胸が締め付けられる思いがした。年齢を重ねていくほど、喪失ばかりが増えていく。痛みは消えることはなく、悲しみも昇華しないまま、自己を侵食しつづける。アメリカの中西部の荒涼とした自然が美しい。岩だらけの大地の向こうに山が連なる。夜明け、夕暮れ、光の加減で微妙な陰影が生まれ、息を飲む美しさを見せる。自然に抱かれ、ただの1個の生命に戻れる瞬間。そのひとときの甘美な交歓だけが生きる過酷さを忘れさせてくれるとでも言うかのようにだ。どこまでも孤独を生きる主人公に畏怖を感じた。まさに、Great America。久しぶりにアメリカにひざまずいた映画だった。