立花隆「サイエンス・ナウ」朝日文庫(1996年)

「科学朝日」に連載中だったのが、1989年だったとすると、これは今から32年前の「サイエンス・ナウ」である。30年前の科学の最前線の研究を立花隆が紹介している本である。科学の研究自体は素人には難しすぎてよくわからないのだが、立花隆が非常にわかりやすく面白く書いてくれるので、こんな私でも投げ出さずに読めた。あの頃からすでに腸内フローラの研究は進んでいたし、ニュートリノはその後ノーベル賞をもらったわけだし、30年前の研究ですでにその片鱗をのぞかせていたわけだ。当時の日本は今のような三流国ではなく、お金も潤沢にあり、科学技術も世界一を競う場所に確かにいた。当時、これからの躍進が期待されていた分野も、30年たった今、話題にのぼることがなくなった話もあった。30年という「或る程度の長さを持った」年月で私たちはゆっくり崩壊したらしい。考えてみれば、30年間ほぼ物価も賃金も上がらなかった我が国。今では借金が膨らみ、コロナの防疫もできず、残念な国になっている。私はそこの住人で、国民。あ~あ。まあ、がっかりはさておき、立花隆は本当に素晴らしい書き手だ。今は誰がその代わりをしているのだろう。科学の面白さを伝えてくれる書き手に私はまだあまり出会えていない。ポスト立花隆がいたら、早くその人の本が読みたいな。30年前の最前線でも面白いし、その後の最前線を読んで、その違いにも触れてみたい。知的好奇心は刺激されると、頭が活性化される。これからの私に必要なのは知的活性化かな。

 

立花隆「マザーネイチャーズ・トーク」新潮文庫(平成8年)

先日お亡くなりになった立花隆さん。文春で特集されていたので読んでみた。この本は雑誌に連載された対談集をまとめたもの。今から25年前の本。対談相手がまた一流の方々で、その中で、河合雅雄さん、日高敏隆さん、多田富雄さん、河合隼雄さんは私も知っている。今の世界が、25年前からどのくらい進んだかどうかはよく分からないが、25年前の話でもとても面白く読んだ。立花隆という人がすごいのだろう。どの話も25年前の今が十分に意識され、その最前線を切れ味鋭く踏み込んでいく。読者の知的好奇心を引き出しつつ、研究者自身の人柄もにじみ出てて、一瞬、研究者という生き方に憧れてしまった。世の中知らないことばかりなのに、よくこの年まで生きてきてしまった。それだけ平和だったし、守られた存在だったのだろう。もう守ってくれる人はいないけど、誰かを守ってあげることは出来る。誰かを思いやることで自分の居場所を探す旅、これからはそれかなあとぼんやり思った。

星新一「宇宙のあいさつ」ハヤカワ文庫(昭和48年初版)

この本もショートショート。これが一番気に入った。やっと星新一に慣れたのかもしれない。慣れる前に諦めなくて良かった。多少の我慢が悦楽への道。大きく飛ぶ前は低くしずむだ。世の中の事象は見方を変えれば、悲劇は喜劇で、その逆もあり。とかく自分の不幸にばかり目がゆくが、宇宙からみたら、塵のひとつにもなれない我が身。存在価値などそもそも塵にあるのだろうか。気が滅入る夜に読めば、自暴自棄を突き抜けた破茶滅茶な世界に至る。世界が私を拒絶するのではなく、拒絶に私が愛されただけなのだ。死ねば苦しみも終わると勘違いするが、そうではない。延々に砂時計を表示したままスタックするパソコンのように、苦しんだまま永遠に漂うような気がする。ちゃんと終わりまでいかねば。すっかり涼しくなった季節のせいか、秋は物思いに浸りやすい。在宅生活のおかげで読書が進む。たまには、普段読まない本を読んで、新しい世界を見てみることもそう悪くない。なんだかすべてが違う物にみえるかもしれない。

星新一「悪魔のいる天国」新潮文庫(昭和50年初版)

ショート・ショートの作品集。星新一といえばこれ。題名が示す通り、毒が聞いてて、読み終えるたびに、シャキッとした気持ちになる。このクールな眼差しが魅力なのだが、私はもう少し湿気があるのが好きだ。イラストが内容にピッタリで、どこかすっとぼけた感じを出しつつも、洗練されていて近未来的。まさに、お話も洗練されている。悪魔がいる天国といえば、見渡せば社会も職場も家族も、そして自分自身も、悪魔がいる天国の如く矛盾に満ちて混沌としている。聖人や善人だけの天国なら、ほとんどの人が行けやしない。そもそも、完全な聖人も、完全な善人もいない。みんな、そこそこずるくて、そこそこ真面目。私もそのひとり。世界中が国境を閉ざしてもう1年半。安心安全と言う言葉がたやすく使われている一方で、本当の安心安全はいつまでたっても手が届かない。マスクの下でイライラした気持ちを噛み締めつつ、不貞腐れてばかりではいけないと反省している。気を取り直したいが、なんだか今日は元気が出ない。そんな日もあるさ。

 

 

「竜とそばかすの姫」(2021年)

細田守監督の新作。今回もまあまあ。彼の映画は、絵、特に色彩が好きだ。今回は幼くして母親を失って、歌が歌えなくなった少女すずが歌い出すというお話。仮想現実のUという世界で、すずはアバターのBELLになる。BELLは歌える。素晴らしい歌声であっという間にUの人気者になる。やがて声を上げられずに苦しむ竜に出会い、竜を守るために、自らの正体をさらす。テーマは世界を救う小さな力。正体をさらすことがそんなに大きな力になるというところが、リアリティ欠ける気もするが、まあいい。高校生には大変な仕事だ。さて、便利になりすぎた今は、便利さが牙を向いている。コロナもゆきすぎた世界の結果なのかもしれない。警鐘はずっと前から鳴らされているが、歩みを止めることはない。SDGsとか言っても、ずぶずぶの関係はそう簡単には精算できない。これから私たちはどうやってこの災厄を乗り越えていくのだろう。この映画、少しは答えに近づいていただろうか。現実と仮想世界を、私たちは器用にパラレルワールドとして行き来している。だからといって、幸せになったかというとそうでもない。でももう一つの世界を手放すことももはや出来ない。答えは闇の中。映画は、やっぱり大きな画面がいいね。音響もいいし。映画は映画館で。私はそう思ってしまう。

星新一「宇宙の声」角川文庫(昭和51年初版)

星新一を連続して読んでいる。この本は昭和44年に単行本で発表されたものの文庫版である。少年少女が日常からいきなり宇宙へと飛び出し冒険する話。今から50年前の作品だが、古びた印象はなく、唐突だが自然に宇宙話へと展開するあたり見事だと思う。今でも人気のあるのは当然だろう。昔からSFが嫌いだった。読解力が足らず、つまらないところが気にかかり、先に進めなかった。読解力は今もないが、今は平気で読める。年齢が上がると、色々最後かもしれないと思うからだろうか。晩年は鈍感に貪欲に。何でも読んで何でも忘れていく。宇宙の話も、とんでもない話も、今の世の中ではさもありなん。こんな疫病が21世紀の世界を席巻するとも思っていなかったし、こんなダメダメ政府に翻弄されるようになるとも思っていなかったし。耐性は大切。何事もモノは考えよう。ライフイズビューティフル。悲観しても良くなるわけじゃないのだし。風通しよくいたいもの。変化を恐れず、時代を経ても変わらぬ、錆びない世界を私も大切にしていきたい。

星新一「人民は弱し官吏は強し」角川文庫(昭和46年初版)

読み終えて、星新一のお父さんの話だったことを知る。びっくりしたが、納得した。ショートショートを読むつもりもだったので、最初困惑したのだが、すぐに引き込まれて一気に読んだ。大正時代に苦学してアメリカの大学を出て、日本で製薬会社を作った男、星一の話。題名が示すように、最後は官吏のいじめで潰されていく人民の話でもある。魅力的な主人公星一を執拗にいじめ抜く政府の存在が、今の政府と重なり、怒りや憎悪がこみ上げてきた。昔から権力者は悪い奴が多いのだ。星一はその後どうなったのだろう。息子が立派な作家になったのだから、悪いことばかりではなかったのだろう。今の政府を見ていると、一体なぜ私たちはこんな無能な人たちに大きな権力を持たせてしまったの持だろうと思う。残念ながら、権力を持ったことがないので、権力者の心持ちが分からない。権力の魅力にも未だ気づいてもいない。そんな無関心たからいけなかったのかとも思う。平穏無事に回っているかのように見えた社会だが、綻びは以前からあったのだろう。コロナの感染やら度重なる天災で世界はどんどん崩れ落ちていく。強くて要領のよい者だけが生き残るのだろうか。幸せそうに見える人たちが高笑いしているような、そんな妄想がおきてきても不思議はない。そんな政治不信の夜に読むと、この本はとても面白い。