NHKドラマ10「正直不動産」

山下智久君主演のドラマ。嘘つき不動産マンが、なぜか嘘がつけなくなってしまうコメディだ。山Pは美しくてチャラい。ちょっと冷たいのがよく似合う。男前にはコメディがいい。そんな山Pの上司役が、木下ほうかという俳優さんだったらしい。というのも放送直前にヤバいスキャンダルが浮上して、彼の出演は消えた。代わりに他の人が上司を演じていた。見事に編集し直しての放送。これを褒めたらいいのだろうか考えてしまう。番組はとても面白い。山Pが正直者になって、ライバルの市原隼人に負けてしまうのだが、だんだん正直ぶりが事態を好転させていく。そのあたりの筋書き、展開、演技、すべて小気味よくて見ていて楽しい。中身が良いので放送されて良かった。木下ほうかの上司役も見たかったし。沢尻エリカ帰蝶役も見てみたかった。しかし今のテレビは優等生な世界。見下されている気がするのもそのせいなのかも。優等生以外の人はどこに向かっていけばよいのだろう。

NHKEテレ「バリバラ 女性障害者の体と性」

深夜の総合テレビでの再放送。以前からバリバラは、NHKで1番尖った番組だったが、今回も攻めていた。登場した女性障害者は皆さん車椅子を使っていた。彼女らが赤裸々に体と性について語っていた。最後に唯一の男性で司会の出演者が、出演して語ってくれた女性たちに感謝の言葉を述べていた。これが何よりも胸に響いた。たぶんご本人は「当たり前やん」と言いそうだが、当たり前が難しい。昔から街行く人々をぼんやり眺めて、この人はどんなセックスするのかなあと考えることがあった。障害者の人のことも同様にどうやってするんだろうと思ったりしていた。語ることが憚られる「性」の話題、うっかり場違いな場所で発言すると、相手を傷つけたり、自分が傷つけられたりする。「みんなしてることやん。」と、いうわけにはなかなかいかない。先日、美容院で世界画報という雑誌を読んだ。「まだまだ恋する貴女へ」というページに、「self pleasureの勧め」なる記事があって驚いた。お金持ちマダムの世界画報にこの話題が載っているのに衝撃を受けた。この言葉は既に一般的だったようだ。勉強が足りなかった。タブーなき世の中がいいのか、タブーは必要なのか。今度民俗学民族学?をやっている友人に聞いてみたいと思った。

今西錦司「生物の世界」講談社文庫(昭和47年初版)

生物学界のレジェンド今西錦司先生を読んだ。名前だけで実際のところは今西先生のことは良く知らないのだが、読んでみてその偉大さの片鱗には触れた気がした。とはいえ、私には難解な部分も多く、これまた読み進めるのに難儀した。それでも何とか読み終えて、解説を読んだら、なるほど、頭のいい人に説明してもらうとよくわかる。これは哲学で生物学なのだ。物の見方、考え方を示した上で、生物の世界を見ているのだ。自然淘汰や、突然変異など突きつめて考えたことがなかったが、レジェンドの言うとおり、突きつめていくと、納得がいかない。おかしい。この本は作者が第二次世界大戦に招集される前に「遺書」として書いているらしい。幸運なことに、作者は戦後も活躍し、偉大な生物学者となった。そして今、私達は破壊と殺戮を毎日映像で見ている。対岸の火事のように見えても、物価高騰という分かりやすい危機となって私たちの足元にも影響はきている。地球というひとつの世界の中で、最上位にたつヒトが殺し合っている。これは宿命的なことなのだろうか。地球のすべてはひとつの細胞から生まれたとするならば。私達に殺し合う必然はないような気がする。動き出した歯車を止める答えはまだ誰も知らない。暴力の歯車はますます加速していく。

THE BATMAN(米2022)

バットマンは何回も映画化される。その最新作。3時間は長い。それでも悪い出来ではない。今回のバットマンも憂いがあって美しい。ミステリー仕立てで謎が解き明かされていく。相棒役の刑事がいるので、何だかシャーロックホームズ風でもある。キャットウーマンは多国籍風。ゴッサムシティの市長選の対立候補も黒人の若い女性だし、今の時代を反映している。後半の水のシーンは東日本震災を思い出した。監督もきっと津波のニュース映像が目に焼きついていたのかもしれない。毎度のことだが、バットマン世界なので、映画のほとんどが夜のシーン。3時間がダーク&ノワール。好き嫌いの分かれるところかも。映像は美しくアクションはかっこよいから、バットマン好きにはたまらないかも。舞台のゴッサムシティを見るたび、生まれ故郷を思い出す。ホームタウンは犯罪が溢れているわけではないが、多国籍の人がたくさん住んでいる。下町は家賃も安いし、働く場所はそこそこある。地方の国際化は意外に進んでいる。ゴッサムシティ万歳。

日高敏隆「動物にとって社会とはなにか」講談社学術文庫(昭和52年初版)

最初に読んだのは大学生の頃、一般教養の時間だった。昭和40年に出された本が52年に文庫本になって出てしばらくたってからだった。今からは半世紀以上前の本になる。学生の頃は「生物」に興味がなかった。人生は皮肉なもので、その後「生物学」を学ばねばならず、その時唯一生物関係で思い出すことが出来たのがこの本だった。当時の私は、「種」の定義をこの本に教えて貰った。内容はすっかり忘れていたから、今回も面白く読んだ。作者は2009年にお亡くなりになっている。最後に、「ヒト」という種について書かれている。種の人口抑制機能という本能を失っているヒトは、戦争で人口を減らしてきた。きっかけはどうであれ結果として人口を減らすことに成功してきた。疫病が蔓延して、次は戦争。ヒトは増え過ぎた人口を減らす時期に来ているようだ。オオカミという天敵を失ったシカが山の草を食べ尽くすように、ヒトは地球をどんどん禿山にしている。シカがやがて食べる草が無くなって餓死するように、私達も死へと向かっている。ロシアによるウクライナへの攻撃はその線上の話なのだろうか。毎日の報道に慣れていく自分がいる。そしてまた春が来ている。

 

橋本治「愛の帆掛船」新潮文庫(平成元年)

面白くてあっという間に読み終えた。4つの愛のお話。どれもこれも濃厚で奇想天外、読んでいくうちに迷宮に連れて行かれる。その快感が強くて、しばらく忘れられない。橋本治さんも既にお亡くなりになっている。これまた生前は読んだ事がほとんどなく残念無念。流れるような文章で、隣で誰か知らない人が話しかけてくるような語りでぐいぐい世界へ引き込んでいく。読むほどに思いもかけない扉が次々開き、疾走して果てる。あれに似てる。この文庫は書き下ろしらしく、挿絵も入っている。それがなんともいえない絵で作品にピッタリと寄り添う。読み終えて、愛は深いし、その薄っぺらさがいとおしいと感じた。浮気をした男心が、自分の気持ちに誠実なのもよく分かったし。家族は仕事と似ていて、そこに愛よりも労働に比重があることも分かった。生きることの意味をこういう形で感じることが出来る小説を私は他に知らない。稀有の作品だ。合掌。

瀬戸内晴美「嵯峨野日記」新潮文庫(昭和61年)

瀬戸内晴美さんのエッセイ集。出家して数年の作品らしい。出身の徳島の話や、得度した平泉の話、京都嵯峨野での日常やら、500ページをつらつら読んでいくと、作者の印象がすっかり変わってしまった。この人のこと、好きかもしれない、似ているところ多いかもなどと思い始めた。いつものことだが、もっと早く読んでいたら良かっただ。作者の物事を肯定的にとらえる姿勢、好奇心と行動力、自由への情熱。彼女が99歳という年齢まで生きられたのは、こうした彼女の性質によるところが多いのだと思う。長生きできる丈夫な身体があったからこそ、こういう性質になったのかもしれない。生きるということは大変なことだ。老いの入口で既に気が滅入っているのだが、今後、老いは深まるばかりなのだから、落ち込んてばかりではいけない。情熱を失わず、謙虚に、機嫌よく生きていくこと、なかなか難しいが、この本を読んでいたらそのヒントが少しあるような気がした。寂聴さんが「まだまだこれからよっ」と、隣で笑っている気がした。