高野山 壇上伽藍 金剛峯寺 霊宝館 奥の院 宿坊「不動院」

司馬遼太郎の「空海の風景」を読んで高野山に来た。16歳の頃に一度来ているが記憶はない。7月初旬、曇った空は雨を我慢している。南海なんば駅から特急こうや高野山へ。橋本を越えた辺りから緑が濃くなり、鬱蒼とした緑が放つ生命感が天空の宗教都市「高野山」への気分を盛り上げる。いくつかのトンネルを越えると終点極楽橋に到着。そこからはケーブルカーで高野山駅へ。高野山駅からはバスで高野山の街へ下る。バスの乗客の半分は外国人だ。高野山金剛峯寺空海真言宗を。比叡山延暦寺最澄天台宗を開いたところ。空海最澄は合わせ鏡のように記憶していたが、司馬遼太郎の話では、密教を本格的に日本に広めたのは空海であり、最澄はその一部を広めたにすぎない。司馬さんが描くふたりの有名僧の関わりは、日曜9時のサラリーマン男性向けのドラマのようで、政治や嫉みでちょっとドロドロ。まさに泥の池から蓮が咲くだ。真言宗とは、仏の言葉「真言」を聞くこと。仏が我に入り、我が仏に入るがごとき。瞑想を介して真言を得る。顕教に対する密教。この世の宇宙の法則は人間の言葉を越えた世界。それを言葉で説明するのだから、分からないのも仕方ない。壇上伽藍の大塔は朱色が美しい。中の仏像と柱の如来はそのまま曼荼羅の世界。なにやら異空間に入った。金剛峯寺は大きい。ふすま絵と蝙龍庭の石庭の合間に、お茶とお菓子が振る舞われる。麩のおせんべいにほんのり和三盆が塗られている。お茶もやけに美味しい。寺の内部は開放されていて庫裏までのぞける。お釜に水場があって、寺の日常が今も高野山が信仰の場として現役であることを物語る。夜は宿坊で精進料理と写経。翌朝の勤行は遠慮して、早朝の奥の院へ。御陵へと続く道は大きな杉の木立に石畳。有名な偉人の墓が並ぶ。今も空海上人がおわす御廟まで行くと霊気が満ちていた。ここは真言密教の本山だもの。何かが宿っているのだ。帰りは期待せずに霊宝館に立ち寄った。ここは宝の山。巨大な曼陀羅と数々の仏像。素晴らしい。入口の阿弥陀如来の説明を、欧米由来の僧が英語でしていた。英語で聞く方が日本語の難解な言葉の羅列よりも理解しやすい。宝の山を後にして、帰りの特急「こうや」に乗る頃にはすがすがしい空気が体内に満ちていた。今ここに存在する自分と取り巻く世界の境界を限りなく曖昧にしよう。仏が入り、仏に入る。そこには誰よりも強く美しい世界があって気持ち良い水が流れている気がする。