石川九楊「現代作家100人の字」(平成10年)

20年前の本なので、既に「現代」ではないのだが、そんなことは気にせず、石川九楊の本を初めて読んだ。時々毛筆を書いている人間なので、名前だけは知っていた。石川九楊が百人の有名人の文字を見て、色々書き綴っている。字の書き方、形、配置などからの分析と表現力の巧みさに驚嘆した。書の歴史も、現代の書の現状も深く知った人が語る書の終焉。大変納得させられた。その後20年たった現代。筆書きからペン書きになっただけではなく、手で文字を書くことさえ消えていきそうだ。瀕死。ヤンバルクイナは保護しようとする人たちはいても、「手書き」を守ろうという人はいない。そういう私も手書きの手紙などほとんど書かない。しかし、文字を手で書いて綴ることは、思っている以上に総合的な能力が必要だ。もう私は半分出来なくなっているし、筆文字なら宛名だって書けやしない。筆書きからペン書きに移った時に失った能力も大きいが、手書きを喪失しつつある私たちもまた大きな何かを失いつつある。表意文字を使う我が国は、手書きが特に必要なのではないかと、私は勝手に信じている。このままでいいのだろうか。ツシマヤマネコ並みに「手書き」も保護しないといけないのではないだろうか。相変わらず他人頼りなのだが、こうやって漫然としているうちに、私たちはどんどん失ってきた。そして今も喪失の途中。本当に私たちは失ってみないとその有難みに気がつかないやうにできている。気がつけばとんでもない世界が私たちを待っているのかもしれない。その予兆は既にそこここにある。ああ、怖い。