村田沙耶香「しろいろの街の、その骨の体温の」朝日文庫(2015年初版)

同級生とご飯を食べていて話題にのぼった本。中学時代からの女友だちアルアル話から是非にとすすめられた。スクールカーストという言葉がない時代を生きてきたが、ヒエラルキーがなかったわけではなかった。この本は小学生から中学生に向かう少女たちのドロドロとした心の話である。新興住宅地で暮らす主人公「谷沢結佳」は少年「伊吹」をおもちゃにしている。結佳のカーストは下からふたつめだが、伊吹は1番上のカースト。マッチしない関係がこの話の核になる。白いニュータウンと、2人が通う書道教室の墨。一緒に帰る夜の緑道。白と黒の対比が、主人公の心情や行動と重なる。小学生の時の仲良し、信子ちゃんと若葉ちゃんは、中学になって同じクラスになったが、所属するカーストはそれぞれ違うし、もう親友ではない。結佳はそつなく周りを読んで複雑な力学がはたらく教室を生きている。一方、少女の身体は第二次性徴を迎え、わちゃわちゃしている。そのすさまじさに、懐かしを越えて気持ち悪さが先だった。それでも一気読みしてしまうのだから、なんだろうね。ねっとりとした少女の内面がこれでもかと書き綴られている。後半の転換にもびっくり。でも不思議に読後感は悪くない。それにしても、我が身を振り返ってみたが、痛みやら、自意識やら、あまり思い出せないのは、私がひょっとするとクラスの上位にいたせいなのかもしれない。伊吹と同じ「幸せさん」だったのかと思うと恥ずかしい。あの頃、上位にいたらしい私は、その後は下ってばかりだ。人生が15歳で終わればよかったのか。はたまた下り転がったからこそ、今があるのか。もう二度とあの頃には戻りたくないが、今、中学生の自分に出会えたら、この本を勧めるかもしれない。あの頃の自分が読みこなせるとは思えないが、万が一にも心にかかれば、今の私には辿りつかずに済む気がする。それがいいのかどうかはわからないが、それくらい「刺さる」ものはある。痛みや傷はできれば避けたいが、避けきれないときもある。ツルッとした人生にもそれなりの古傷はある。長く生きるとは無傷ではいられないということか。それでも、やかてすべては終わる。私たちはいつも終わりに向かって歩いている。