「李兎煥 Lee Ufan」国立新美術館

前から見たかったのだが、なぜ見たかったのかは思い出せない。最近忘却力がすごい。雨の国立新美術館は二科展のせいか、予想以上に騒騒しい。喧噪から一転して会場は静かな世界。リ・ウーファンは現代アートの人で韓国出身だが、日本での創作も長く、今ではヨーロッパ在住のようである。最初の部屋には色鮮やかな3枚の絵が向かいあう。次の部屋には石と鉄板。新しい部屋に入るたびに、新鮮な驚きに出会う。同時に自らの内なる扉が開き、思索へと導かれる。見る人が歩き回っているうちに、作品の中に引き込まれるのか、見ている自分の心の中に沈みこんでいくのか、境界ははっきりしない。ただただ、その流れが甘くて楽しい。作品に登場する石がどれも美しい、たたずまいが生きモノのようでもあり、背を丸めた人の姿に見えたりもする。モノの存在が響き合う。共鳴が想像の翼を広げ、心が飛び回る。そんな展覧会だった。普段、思索する機会などめったにないが、現代アートの楽しみはこうした思索の旅なのかもしれない。ボルタンスキーの深い悲しみとは変わって、リウーファンの世界は穏やかだけど多弁。深くて静かな思考の流れが日常の憂さを忘れさせる。私たちの日常世界は以前より貧しくなってしまった。閉塞感と不信は深まり、心は塞ぎがち。今は忍従の時なのだろうか。もはや流れは止められないのだろうか。今、行動しなかった自分をいつか後悔するのだろうか。行く先はなんだか暗澹としている。