川上弘美「真鶴」文藝春秋(2006年)

単行本を買うことは滅多にないので、この本を買った時の記憶はしっかりとある。ただ内容は買った記憶ほど鮮明ではない。川上弘美らしい、ちょっと地面から浮いているような話だったという記憶があった。主人公は、夫が何年か前に失踪し、娘とおばあちゃんとの三世代の女で暮らしている。編集者の愛人がいて、娘の百は少し反抗期で、夫にだんだん似てくる。主人公は何かを求めて真鶴へと頻繁に出かけていく。真鶴をさまよい歩きながら、心の中にモヤつく幻影たちと交流し、やがて幻影たちと自分自身との境目を溶かす。主人公の心を取り巻く影はだんだんと消えていく。失踪した夫の失踪届けを出し、愛人と別れ、主人公の仕事である小説は書き上げられて話は終わる。変化しないものなど何もない。人はどんどん移り変わっていく。永遠に変わらぬと誓ったその時から色褪せ崩れ始めていく世界。それを悲しむではなく、もっと生生しく味わうこと、それが生きるということなのかしらん。命はこんなに柔軟なんだなあと。喪失の深刻とは別のところにある何か、心のパズルのようなものが時間とともに解かれ、やがてぴったりとはまっていくような話だった。15年前に読んだ時よりもずっと面白かった。それはここに書いてあるパズルのようなものを、私自身も持っていたからかもしれない。今では主人公と同様、幻影は姿も声も出してくれないけど。私は今も生きている。