秋刀魚の味(1962日本)

録画してあった小津安二郎監督の名作デジタルマスター版を見た。妻を亡くした初老の男が同居している婚期にある娘を嫁に出すまでの話である。小津ワールド全開の映像と台詞で、小津映画好きにはたまらない感じである。静かで余計なものは何にもない計算された世界は、雑味のない旨さを感じる。小津映画お馴染みの笠智衆が父で、娘は岩下志麻である。以前、内田樹さんが言っていた記憶があるのだが、男にとっては娘と暮らすのが1番の幸せらしい。父親が苦手だったのでよくわからないのだが、確かに映画の笠智衆は娘との暮らしで幸せそうだったし、婚礼の夜はしこたま飲んで酔っ払っていた。映画の描いている昭和の時代は今見ると煙草やお茶くみ女性、セクハラ発言もがあって、ちょっと驚く。それでも今にはない、緩さや奥ゆかしさのようなものがあって、懐かしくホッとさせてくれた。もう亡くなって十数年たつ父親のことを少しだけ思い出した。幸せってなんだろうね。

角幡唯介「43歳頂点論」新潮新書(2025)

よく知らない人だったが、題に惹かれて購入。読んでいくと自分でもびっくりするほど著者の言う事がうなづける。ああ、同じタイプの人だ。若い頃は、一般的な幸せに意味が見いだせず、むしろ嫌悪さえしていた。今では、歩めなかった道の意味も十分理解している。幸せは人それぞれだし、どこでもいつでも変わり者は一定数いる。著者と同様に心の内に意味不明の強い情熱を持つ。それに火がつくと無闇に疾走してしまう。走り出すと最早やりたいかどうかも分からなくなり、タスクをクリアしていく程に追い詰められていく。探検家や登山家はそこで命を失うのだという。平出和也さんと中島健郎さんの最後の登山を追ったドキュメンタリーを見た。中島健郎さんが家族と楽しい時間を過ごしたあとに、涙を流しながら何で行くんでしょうねと言ってたことを思い出した。その答えの一端がこの本にはあったように思う。角幡さんは男性なのだが、女性なら43歳といえば初産限界年齢だ。早く産めばよかったのだが、そうもいかず。卵子は生まれてからずっと老け続けるが、精子は年齢と共に生産されるからか、この時期男女の老い方に差があるように思う。振り返ると30代で感じる万能感は傲慢だった。40代で肉体の頂点が過ぎた事を体感したが、心はまだ絶好調だったなあ。頂点を過ぎた開高健は釣りに、著者は狩猟に舵をきる。ここからでも世界はまだまだ広がってゆく。子どもを持たなくても、登頂しなくても、生命は続く。命を震わすような本質的喜びは強弱はあるけど死ねまで存在するのだと思う。フィギュアスケートの金メダリストのアリサ・リュウのいう、ただ自分の物語を紡ぐだけである。外は少しずつ春めいてきた。また何かを始めるよい時期である。

中勘助「銀の匙」岩波文庫(初版1935年)

積読チャンネルの飯田さんがこの話をしていたので再読した。ある男の子のお話である。大人の視点ではなく男の子の視点で子どもの世界が描かれている。描写がゆったりとしていて、まさに子どもの時間で進んでいく。読みすすめると、つい自分の幼少期を思い出す。子どもの時、怖くて仕方がなかったことや、子ども同士の容赦ないやりとりやら、大人になると自然と忘れてしまう世界を思い出した。二部構成で後半は少し成長した時代が描かれている。幼ない頃から溺愛してくれた伯母と再会するシーンは、太宰治の「津軽」を思い出した。生意気な子どもだった主人公を年老いて耳も目もはっきりしなくなった伯母が手を頼りに体中撫でまわす姿を作者は淡々と描く。映画のように情景が眼前に広がって胸がキュンとした。悲しみも喜びも人生のひとコマに過ぎない。過ぎてしまえばあっけない。子どもの頃のキラキラした時間はもう再び巡り合うことはない。気がつけば人生は夕方で日没前。これからは自分の能力も格段に落ち、親族や友人は次々と亡くなる。喪失の時間が増えてゆくのだと思うと、何でもかんでも忘れてしまうことも、神様の配慮なのかもしれない。この本は忘れてしまったキラキラした子ども時代を思い出させてくれる素敵な本だと思う。きっとまた忘れるからまたそのうち再読すると思う。

敦煌(1988年 日本/中国)

中央アジアへの憧れはこの映画から始まったのかもしれない。ドローン撮影もなく、CGも大したことなかった時代の映画だが、スケールが大きくて美しい映画だった。たくさんのエキストラと馬を使った、人馬一体の戦闘シーンも迫力があった。一体どのくらいお金がかかったのだろう。時代はバブル期、もうこんな映画は今の日本では作れないかもしれない。38年前の西田敏行は実に男前だった。青年佐藤浩市も初々しくて匂い立っていた。しかしなにより素晴らしいのは渡瀬恒彦。白馬に乗って大平原に現れる姿は神々しく、冷徹な眼差しがまさにシルクロードの王を思わせた。井上靖陳舜臣の本に出てくるシルクロード中央アジアになぜか心ひかれて読んでいた。いつか砂漠の景色を見て風に吹かれたい。いつか草原で馬に乗りたい。イシク・クルの湖底に沈んでいる文明にも思いを馳せたい。喜多郎のあのテーマ音楽が耳にこだまする。昭和ノスタルジー。しかし円安だし、パンダもいなくなった日中関係は絶望的状況。果たして行けるのだろうか。いや、逆にこういう時期だからこそ、中国を訪れるべきなのかもしれない。国と国の関係はさておき、個人はいつもフラットで友好的でありたい。わたしたちには、世界中の人達と仲良く出来る自由があるのだから。

朝井リョウ「そして誰もゆとらなくなった」文春文庫(2025)

旅先に持っていく軽めの本として購入したが、旅先では読まず自宅で読んだ。声を出して笑った。こんなに笑えたのも、自分自身が数年前からお腹が激弱になったせいである。著者のお腹弱弱人間の描写が全て当てはまり、身にしみたのだ。お腹が弱くなって1番困るのはお出かけである。時間に余裕を持たせて万全を期す。旅もお腹のご機嫌次第になり、楽しい旅もハードなミッションになりつつある。そもそも旅は自分を鍛える良い機会だとも思っている。知らない場所でお金を使い、未知の事態に常に対応を求められる。目的地に無事着くだけで達成感があり、新しい知見も得られてアドレナリンも出る。お家の中では叶わない活性化が心と身体に起こる。そんなわたしも著者が言うがマチュピチュに行ったことがある人になりたいという欲望もよく分かる。わたしも同じで、そう言う人になりたかったから旅をしている。そして、今では世界中どこでもひとりで行ける人だと思われている。ただお腹のせいで、以前よりずっと大変である。だからといってリスクを忌避して暮らすと、ぼんやり長生きしてしまいそうである。独り身なので長生きは厳禁。果敢にリスクを攻めるのはシンドいが、孤独や困難の先にきっと天国はあると信じて進むしかない。朝井リョウの本はこれで2冊目だが、すっかりはまっている。今度は小説を読みたいな。

「博士の異常な愛情…」(1964米英)

録画したまま放置されていたキューブリックの作品を見る。米ソ冷戦時代のコメディで、アメリカの空軍の司令官が突然ソ連への攻撃命令を下して大騒ぎになるお話。戦争を本気で茶化していて面白い。作品はわたしが生まれる前のもので古い。正式タイトルも実は長い文章だったことを初めて知った。キューブリックはやはり巨匠である。この作品も時代を超えて今もしっかり語りかけてくる。いくら時間が経っても変わらないものが描かれている。戦争は今も世界のあちこちで続いている。始めた人は暖かい部屋でぬくぬくと暮らし、最前線では無関係な人達が血みどろになっている。平和ボケしたわが国も最近物騒なことを言う人が多い。ロシアやアメリカなどの大国が自国の利益優先ばかりに舵を取り、小国をなぎ倒し始めている。歴史は韻を踏むというが、また暗黒時代へと進んでいるような気がする。この憂鬱な世界はいつまで続くのだろう。わが国の若者が戦争に行かなくてもいい世の中であってほしい。世界中の若者がそうあってほしい。選挙の日は雪なのか?やれやれ。

日テレ「冬のなんかさ、春のなんかね」

冬ドラマで1番気に入っている。杉咲花ちゃんと成田凌は、朝ドラ「おちょやん」のコンビ。糟糠の妻杉咲花を捨て駆け落ちしてしまう成田凌が印象的だった朝ドラ。そんなふたりがコインランドリーで出会う。微妙な台詞のやりとりが「アンメット」を思い出させる。第二話では主人公に片想いする岡山天音がグダグダ言っててよかった。大河ドラマ恋川春町もグダグダ言って好演していた。岡山天音は鬱屈している、かわいい人がよく似合う。ドラマの主人公は小説家でロマンティックアセクシュアルの友人がいる。人を好きになっても、性的欲求が持てない人のことらしい。こういう設定の登場人物も「今どき」だなあと思う。友人に冬ドラのオススメを聞かれたので、これをオススメした。しかしどうも外したようである。主人公の奔放さが駄目だったようだ。万人受けすると思い込んだ自分がどうかしていた。「おコメ」とか「リブート」とか勧めるべきだったのだ。「好き」とは心の琴線に触れる状態のことだから、琴線も十人十色。自分が良いと思っても誰にでも当てはまることはない。ただ正直に「好き」を表明するのも別に悪いことではない。ただ相手の「好き」が許容出来ないこともある。人間関係を円滑にするには、曖昧にしておくのが1番なのか、でもそれではつまらないなあとか。どこに着地するのが正解なのかなあとぼんやり考える。このドラマもこんな感じで主人公はいろいろ考えて進んでいく。答えのあるようでないようなことをとめどなく。ドラマは絵がとてもキレイだ。台詞も練られていて上質な感じがする。友人には不評だったが、わたしはグッとくる何かがある。このあと、成田凌が今度は捨てられればいいのに、とどこか思っている自分がいる。どうも根に持つタイプのようだ。