一度は行きたいと思っていた美術館。このテーマの展示ならそれほどでもないかと思ったが、そこそこの人出。作品も小さいし、細密に描かれているので、皆、かぶりつきで見る。実にストレスが溜まる展示だった。それでも展示数が多いので、皆息切れして、後半はスムーズに見られた。みんな最初だけかぶりついて見ていたわけだ。芳年は以前太田美術館で見た。血なまぐさい明治の浮世絵は好きになれなかったが、今回は血なまぐささを最小限にした品の良い作品ばかり。同時期同門の芳幾と対比して見せてくれたが、対比が鮮明になるほどの印象はなかった。途中で師匠の国芳の作品がまじるので、私には何がなんやらだった。建物は素敵なので空いていれば、併設のカフェにも行きたかったが、遅くて入れてもらえず心残りができた。美術館の庭はこぶしの花が満開だった。並びのレストランも大賑わい。もちろんロブションも満員。東京らしいといえば東京らしい場所。人が少ない季節に再訪したいが、きっとそんな日はしばらく来ない気がするな。
千野帽子編「富士山」角川文庫(平成25年)
「近日処分するのでご自由に」という段ボールの中から拾ってきた本である。「富士山」についていろんな作家が書いた文章を一冊の短編集にしている。太宰治、夏目漱石、永井荷風、赤瀬川原平、丸谷才一など、それぞれの作家の個性が出ていて面白かった。特に丸谷才一はどうしてこんなに面白いのだろうね。難しい話を読みやすくて面白く読ませてくれる天才である。知性とはこういうことなのかと、彼の本を読むたびに感動する。赤瀬川原平さんのは独特の風刺が効いていて、これまたしびれた。アーティストは、見つめる目線がいつも新しい。それでいて軽くて静か。過激さがオシャレでいい。トリの新田次郎の遭難話は、現実にあった話をもとにして書いたらしい。春の富士山登山はそんなに危険なのか。読みながら息が詰まるほど引き込まれた。これを読むまでは、人生一度は富士山登山かなあと考えていたのだが、新田次郎まで来て、やはり富士山登山は断念して終わった。富士山は特別な存在である。日本一の山。気がつくと、小学校の音楽の時間に習ったあの歌を歌っていた。知らぬ間に心に入り込んでいる富士山の存在、恐るべきである。相手が富士山で本当によかった。
「三井家のおひなさま」三井記念美術館
三井記念美術館は初めて来た。三井本館の立派な建物の一部が美術館になっている。お雛様の部屋は重厚な洋館で、赤い毛氈の上にどーんと座るお雛様たちはうやうやしく輝いていた。3月3日を過ぎた会場は、嫁入り時期をとうに過ぎた女性たちで賑わっていた。「嫁入り」という言葉も今の時代にはそぐわない。だが、昔ながらの、お雛様を大事にしてきた心持ちはそれとは別である。贅をつくした人形たち、工芸の技をこれでもかと見せてくれる雛飾りは、何度みても、いつ見ても溜息が出る。静嘉堂文庫の岩崎のお雛様と比べるとこちらは、細面の美形雛が多い。お雛様につきものの戌箱がここにもあった。なんとも言えない顔をした犬を見ていると娘の成長を願う親心がしみいる。もうひとつ目を引いたのは御所人形。3頭身ほどのプロポーションの真ん丸な人形が表情豊かに並ぶ。たくさんある人形がひとつひとつ、表情もしぐさも、違うのだから、これも贅沢な人形たちである。小さな道具箱の緻密さや、人形の着物の細部の刺繍などを見ていると、作り手の技と魂が時代を越えて私たちに迫ってくるような気がする。工芸は書画とは違った、生活に溶け込む親しみやすさがある。作り手の息遣いが聞こえるようである。女の子の幸せを願った人形たちを見ながら、結婚から遠く隔たった自分をめでたいと感じている。政府は少子化と結婚を結びつけているが、子どもは結婚の有無とは関係なく産めるように整備したほうが良いと思う。産みたい人が産めるようにすればいい。結婚と別枠で考えれば子どもは増えるのではないだろうか。もちろん結婚して子どもを持つのもよいのだが。女が幸せな社会はきっと男にも幸せだと思う。まずは社会の基本をリニューアルしないとね。
テレ朝「星降る夜」
テレ朝には珍しく面白いドラマ。火曜日の夜は忙しい。吉高を見たあと、ドラマ10の「大奥」を見ないといけない。このシーズンはこのふたつがお気に入り。あとは「罠の戦争」と、「100万回」くらいかな。「星降る夜」は、初回ではピンとこなかったのだが、脚本が大石静さんだからと、迷いなく見続けた。前シーズンに好評だった「Silent」以来、ここのところ、手話が出てくるドラマが多い。アカデミー賞をとった映画「Coda」のせいなのか。はたまた流行りにのっただけなのかは分からないが、ドラマが世間を映す鏡なのは変わらない。大石静さんの話は若い頃はエグすぎたが、今はすっかり丸みと深みが増して絶妙である。吉高由里子も、北村匠や光石研さんもみんな好きなので、もうどうしようもない。毎回、心の端をきゅっと掴むような話にじんとしている。主役の雪宮鈴の同僚役に登場しているディーン・フジオカが面白い。五代友厚以来、最も成功しているキャスティングだと思う。彼が持つフェイク感が今回ははまっている。よかったね、ディーン。イケメンし、お利口だし、彼を生かせるドラマがやっと出てきたと感動した。ムロツヨシも前回あたりから登場して、異彩を放っている。本人も楽しそうに狂気の善人を演じているね。テレビドラマを愛する淋しい女性たちは、10歳年下の彼氏を持つ30代半ばの女性の華やいだ気持ちや憂鬱な思いに心を寄せながら、どうしようもない日常を生きている。ああ、胸にしみいる火曜日の夜。
中国歴史の旅(上・下)陳舜臣 集英社文庫(1997年)
中国語を勉強しているし、好きな陳舜臣さんの本なので読んでみた。1997年の文庫なので、中国の姿は今とはかなり違うが仕方ない。読み始めてすぐ、陳舜臣さんの語り口が心地よくて嬉しくなった。上巻は北京から西域へ、下巻は上海から桂林へ。各地の名所をその場所にまつわる歴史エピソードと一緒に紹介している。本の古さはすぐに忘れ、中国への旅情ばかりがかきたてられた。以前、陳舜臣さんの「中国の歴史」の第2巻まで読んだので、「漢」までの話はぼんやりとわかる。そのおかげで、この本も少しは身近に感じることができた。こんな年でも知識は少しは堆積してくれるようだ。ありがたい。そろそろ海外への旅だが、まだ動き出せない。中国への旅はもう少し年齢が上がっても行けそうだと思ってしまう。一体私は何歳まで生きるつもりなのだ。今すぐ死んでもいいと思っているくせに漠然と将来の設計をたてたり。どうも私は死ぬ気はないらしい。残り時間が分かれば生きやすいのにね。そう都合よくはいかないか。とりあえず、今目の前にある時間に夢中でいられればいいのだが。
「RRR」(2022インド)
面白いと評判の映画をやっと見て来た。寒い日には濃厚で熱いマサラティーならぬインド映画。3時間あるが全然飽きない展開。お話は英国統治下のインド、強靭な2人の男が出会い、友情の狭間で使命を遂行していくというお話。アクション有り、歌有り、踊り有りで、一瞬たりとも飽きさせない大エンターテイメント。さすがボリウッド、驚くほどたくさんの人をエキストラで使っていてその迫力が凄い。奇想天外がアクションやら、分かりやすい勧善懲悪やら、思わず笑ってしまう楽しさもあり、見終わったら元気になっていた。聞くところによるとインドは好景気らしい。インドの洋服を輸入販売しているお姉さんが言っていた。右肩上がりの国の勢いは斜陽の国から見ると実に眩しい。インドの人口は14億だとか、人口減少に転じた中国を抜き去るのも近い。インドが抱えるいろんな問題は別にして、成長ぶりには目を見張るし、映画の出来も素晴らしいものが多い。というか、日本に来るのは評判のよいものばかりだが。コロナですっかり日本にひきこもってしまった。心もすっかり弱くなってしまった。円安も物価高もあるが、何とか外に出ないといけない。年をとってますます弱る前に、またインドに行かねば。そんな気になる映画であった。
松本清張「砂の器」新潮文庫(昭和48年初版)
何度もドラマ化された有名な作品だが、読んでいなかった。昭和の名作を読まずに死んではいけない。最近は、晩年に差しかかってきたのでなるべく先送りはやめている。さてお話は、殺人事件とその犯人を捜す刑事さんのお話。被害者の身元は不明。唯一の証拠は、犯人らしき人達の会話を聞いたという証言のみ。東北訛のような話し方とカメダという僅かな手がかりで話は進む。読み進めるほどに昭和の世界がいろ鮮やかに目の前に立ち上がる。昭和を生きていない人には出てこない現実感。ああ、昭和。この刑事さんは思いつくとすぐに夜行列車に乗って現場へ赴く。秋田、島根、三重へ、硬い座席で長距離移動はさぞや疲れるだろうと思うが、当時の夜行列車はお手軽に地方に行く手段だったのだろう。これも昭和の風景だ。今の夜行列車はすっかり贅沢品になって、特別な乗り物になってしまった。文庫上下巻はあれよあれよと読み終わった。後半は、驚きの展開にワクワクドキドキして一気だった。深刻な社会問題、人間の奥深いところに潜む虚栄心やら欲望やらをえぐりだし、あっけないほどサラッと終わった。揺るぎない感じだ。さて現実の令和の私たち。正義はどこにあるのだろう。あれから私たちは何をどう変えてしまったのだろう。よどんだ池の中で酸欠ぎみになっている。私たちは誰と戦えば良いのだろうか。世界はどんより灰色だ。