馳星周「少年と犬」文藝春秋(2020)

「犬」繋がりで読む。馳星周は「不夜城」などハード系小説を何冊か読んだ。そんな彼が直木賞をとった作品がこれ。短編が連なりひとつの話になっている。昔やんちゃしていたクラスメートがすっかり好々爺になっているような作品だった。出て来る人物が訳ありで、そこにシェパードと和犬の雑種犬が現れて、暗くて寂しい心の闇を照らすお話。普段は自分が居る場所周辺の事しかしか考えてないが、この社会にはいろんな人が様々な暮らしをしている。私たちはいつ落ちてもおかしくない日常にいる。でもその危うさには気がつかないでいて他人事だ。雑種犬の多聞はその危うさが分かっているみたいだ。名前の通り、よく話を聞いている。多聞天毘沙門天の別名たが、誰にも語れない心を包み込む救世主の話でもある。最後は少し出来過ぎの感じもしたが、この本全体を貫く悲しみを照らす光明があってよかった。残酷なこともたくさん起こる時である。救いのないことも多いが、光明を信じて進むしかない。イヌを飼いたい。でも、私には飼う自信がない。飼えるようになるだろうか。

湯を沸かすほどの熱い愛(2016)

宮沢りえ主演の映画。ダメダメの夫がオダギリジョー、学校でイジメにあっている娘が杉咲花。夫が蒸発して銭湯を休業している中年ママが宮沢りえ。強く逞しく美しい母はイジメられている娘を根気よく励ます。ある日母親に病気が見つかる。それを境に、夫が知らない連れ子と一緒に帰還。銭湯再開、新しい家族の暮らしが始まる。母親を中心に、最後は母親不在の新しい家族を作っていく話。あまりにもかっこいい母親なので、リアリティに欠けると思う一方、宮沢りえの為の映画だと思えば、それも悪くないと思える。美しい宮沢りえを「お母ちゃん」と呼ぶのも違和感があったが、後半ヤツレていく宮沢りえを泥くさく「母ちゃん」と呼ぶのが、かえっていいと思った。家族とは求心力のある誰かがいればそれでいいのかもしれない。たとえ血は繋がっていなくてもね。何かの危機にあると、私たちは互いに絆を深めるのだなあと感じいった。関わりの少ない社会も、冷たい人間関係も、淡々と孤独に生きる暮らしも裏を返せば衣食足りているということなのかもしれない。まあそんなに単純にいかないから困るのだけど。

伊吹有喜「犬がいた季節」双葉社(2020年)

学生時代の友人に教えてもらった本。時代設定が平成の初め頃、自分のことも思い出しながら懐かしく読んだ。ある高校に迷い込んだ犬を学校で飼うことになり、その犬を交えた話が時代の変遷と共に描かれている。ほどよい緩さと切なさで語られていて心地よい。スピッツの「スカーレット」も出てきて、久しぶりに聞いてしまった。若い頃は、高校時代の恋人と結婚する友人を見て、まだ人生は始まったばかりなのに、一生を共にする人を早々に決めていいのだろうかと思っていた。今は、高校時代の恋人が正解なのかもしれないと思うようになった。樹木希林さんが「分別がつかない頃にしか結婚はてきない」と言ったらしいが、確かに結婚には勢いが必要だし、若い頃に根拠なく好きだったものは年を重ねても変わらず好きでいられることが多い。振り返ると後悔ばかりの人生だが、後悔することがたくさんあってよかったと今は思う。なんでも過ぎ去っていくとキレイになってゆく。ノスタルジックになるのも年をとった証拠。まあそれも悪くない。

イングリッシュ ペイシェント The English Patient(1996米)

「英国人の患者」という邦題でも良かったかもと思った。ラストになってタイトルの意味するところが分かり、そもそも邦題ならもっと印象的だったのではと思ったからだ。映画は第二次世界大戦下のヨーロッパ。重症を負った英国人の患者を献身的に看護する看護士との関わりを通して、英国人の患者の過去のお話が語られる。看護士ジュリエットビノシュが魅力的で、彼女のインド系恋人キップが私はなかなか好きだった。お話が二重構造になっていて面白いが、2時間半もあるので少しダレる。私がヨーロッパの歴史に詳しい、もしくはヨーロッパ系の人間ならもっと楽しめただろう。細やかな部分は、極東のアジア人には難しかった。出て来る人の顔やら名前やら、発音やら聞けば、ヨーロッパの人ならその人の国籍やら属性がなんとなく分かるだろう。そのあたりが味わえなかったのは残念だった。とはいえ、砂漠を3日3晩歩き回って恋人を助けようとする男の情熱やら感じ入るところはあったし、大作らしい雄大さもあった。ほぼ満足なのであるが、欲張ってしまう。足るを知らない。まだまだ修行が足りないね。

アンネの日記 The Diary of Anne Frank (1959米)

イスラエルハマスの戦いが続いている。パレスチナへの同情的なムードが多い中、イスラエル側の人が言っていた言葉を思い出した。「過去のユダヤ人のことは皆知っているが、今のユダヤ人には誰も関心がない。」と。私の中のユダヤ人もアンネの日記からあまり更新されていない。そんな中、なぜか録画されていた「アンネの日記」を見た。いつ見つかるかもしれないと怯えながら暮らすアンナ(本当はアン?アンネはローマ字読み?)達を見て、一緒に怯えた2時間半だった。若くして亡くなった主人公アンナを思うと無駄に長生きしている自分が申し訳ない気分にさえなる。そんな謙虚なことを考えたりもする一方、あっと言う間に忘れて、他人の痛みに鈍感で無関心な人になる。そういえば、子どもの頃に読んだアンネの日記には、アンナが日記の中に作った心の友キティがいたはずだが、映画では出てこなかった。真似して日記の中に友達を作ったことを何十年ぶりかに思い出した。映画のエキセントリックなアンナは私のイメージとは違った。私が年老いたせいかもしれないし、そもそも記憶が曖昧なのかもしれない。今も戦いは続いている。戦いの火種は至るところにあり、いつでも火がつきそうだ。大事なことは、絶望し過ぎないこと。どんな悲惨な時でもなんとか生きていくこと、そうアンネの日記が伝えていた気がする。

哀れなるものたち(2023英アイルランド米)

とても面白かった。映像も脚本も素晴らしいし。美術も衣装もとてもオシャレ。主演のエマ・ストーンがなにより素敵。久しぶりに100点をあげたくなる映画だった。時代は近代。天才外科医が臓器移植して作り出した女性ベラが解放、成長していくSFファンタジー?。ウィレム・デフォーがツギハギ顔の天才外科医。その外科医が作り出したベラを演じるのが、エマ・ストーン。大人の女性に新生児の脳味噌を持つため、行動は破天荒だが、純粋で素直、何より学び成長する力が凄い。彼女が博士の元から出て旅に出る。過激な学びの末、自由で聡明な女性になって戻って来るお話。面白くて皆にすすめたいが、男性が、見ても同じように面白いと感じるかは分からない。まあ、それはそれ。さて、私たちは生まれながらにして良かれ悪しかれ制約の中で生きている。その中でも親子関係は最大であり、人生を左右する。「親ガチャ」なんて言葉もここ最近はよく耳にする。親子の絆が尊く大切だという一方で、大きな足枷でもある。この映画のベラには親がいない。親がいない不便さはなく、ただただ自由なのである。そこが響いたのかはわからないが、見終わったら明るい気持ちになっていた。やっと親のいない人生を歩んでいる。本当の自由はこれからかもしれない。

 

ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男 Darkest Hour (2010英米)

思ったよりも面白かった。名前は知っているが、実際に何をした人なのか全然知らなかったからだ。これを見てから、クリストファー・ノーランの「ダンケルク」を見に行けば良かったと思った。映画は第二次世界大戦、ドイツがフランスを追い詰め、イギリスはチェンバレン首相が辞任、戦時下の首相にチャーチルがなるところから始まる。風采のあまり上がらな小太りの男がチャーチルで、最後まで徹底抗戦を訴えて、ヒトラーから英国を守るという話。ウクライナイスラエルの戦いが続いている今、一刻も早く戦いを止めるよう手を尽くすのが正解のような気がした。しかしあのときの英国は徹底抗戦で進むのが正解だったらしい。正義も立っている場所で全然違うから難しい。映画では、チャーチルの家族がよかった。妻は美人で聡明、チャーチルを叱る母のような存在。強くてチャーミングだった。首相就任の日、家族で祝杯をあげるシーンが印象的。ヘマをしないように家族みんなで声を合わせて乾杯をするのだ。いい家族だなあ。映画後半に、チャーチルダンケルクの若者を救うために、カーレーにいた師団を見捨てる。師団長に送る手紙には、救援には行かないと二度繰り返し告げていた。直後の爆撃シーンは印象的。誰かの犠牲の上で誰かを救う。誰を助け、誰を切り捨てるかを見極めるのが、政治家の仕事なのかもしれない。みんなが幸せに暮らせるのが一番だが、そういつもうまくいかない。誰かが泥をかぶらねばならない。現実の戦争はまだ終わりが見えない。一刻も早く終わってほしいが、最善の道への答えはまだ出ていない。