日TV「恋です! ヤンキー君と白杖ガール」

杉咲花ちゃんが弱視の女の子を演じるラブコメ視覚障害を持つ人の暮らしがドラマを通して少し分かったような気がする。毎回登場する全盲のお笑い芸人さんの、「どっちかわからんかったら、わろといて下さい」も好き。ドラマはそこそこいい加減さを含んでいて、でもそこそこシリアスで、いいあんばい。前回は盲学校のクラスメート空ちゃんが登場。目が見える人の無意識の上から目線が嫌だという。なるほど。小さなセリフに波だつ。主役おちょやん杉咲花ちゃんは小さい。相手役の彼と並ぶとかなりの身長差、この構図がなんだか懐かしい。杉咲花が素晴らしいので、お姉ちゃんの深川麻衣もお父さんの岸谷五朗もいい。今季は重めのドラマが多いので、これはクリーンヒットかな。障害だけではないが、突きつめれば、当事者しか本当の意味の苦労は分からない。分からないから、余計なことしないでおこうともなる。しかしそこで、気軽に行動できる軽率さやお節介が、わりと大切なのではと思う。余計なお世話になったとしても、それはそれでいい。中にはそれを待っている人もいる。面倒くさい摩擦を避けて、生きてきた。ややこしいことは少なかったが、面白みも醍醐味も少ない人生だったと思う。まあそれも人生のひとつだが、残りの人生は方針を変える?大きなお世話をして、人様に少しでも喜んでもらえたら幸せだ。終わりよければすべてよし。最後が大切。

NHK朝ドラ「カムカムエブリバディ」

大好きな脚本家藤本有紀さんの朝ドラだから朝から幸せだ。それにしても上白石萌音ちゃん。本当に小さくて、顔もスタイルも全然今どきじゃないのでけど、限りなくかわいくて切ない。「恋は続くよ」の時もまんまと引きずりこまれたけど今回も凄い。和菓子屋の安子ちゃんにすっぽりハマってしまった。お相手の稔さんも理想の昭和エリート青年の顔かたちをしていて、毎朝しびれている。モネも良かったけど、アプローチが長くて前半はきつかった。今回は3人ヒロイン体制のせいか、いきなりクライマックス。楽しい。既にカムカムに脳内上書きされてしまった感がある。今回の共演者もお気に入りの人が多い。濱田岳もそうだが、夢の遊眠社時代からのお付き合いの段田安則。「和田家の男たち」も見ている。稔さんの弟村上虹郎も、和菓子屋たちばなの祖父大和田伸也もいい。安子ちゃんのお友達の豆腐屋のきぬちゃん。いいネイミングだし、きっと将来は伊藤沙莉的に売れそう。朝の小さな幸せ。小さいことから少しずつだね。

小林秀雄「本居宣長(上)(下)」新潮文庫(平成4年)

上下巻2冊をやっと読み終えた。小林秀雄なんて無理だと思っていたが、一生読まないで終えるのも悲しいので、最後のチャンスと手に取った。引用がとても多くて、読み進めるのに難儀した。だが、少しずつ読めば何とか最後にはゴールに辿り着けるものだ。マラソンもきっとこんな感じかもしれない。本居宣長は昔から近くに生家があるせいで知っていたが、こんなに凄い人だとは思っていなかった。「もののあはれ」という言葉だけ、それしか知らなかった。賀茂真淵、契沖、荻生徂徠。歴史の教科書でサラッと触れただけの人々が宣長と共に目の前に現れ、肉声を発する。面白かった。大河ドラマにして欲しいが、アクションが少ないから無理だなあ。でもそれくらいドラマチックだった。書き言葉がなかった時代が貧しい不便なわけではない。宣長はそれがよく分かっていた。過去は未熟なわけではない。スマホもパソコンもなかった私の子ども時代も決して不便でも貧しくもなかったし。辛い読書だったが満足感は残った。無理なことに挑まずに生きて来たが、残りの人生は出来るだけ挑戦の日々にしたいと思う。もう失うものは本当にない。あとは死に向かうだけなのだから。

阿刀田高「殺し文句の研究」新潮文庫(平成17年)

阿刀田高さんのエッセイ集。比較的若い頃の作品が詰まっている。作品目録が巻末についている。売れっ子作家の阿刀田高さんは国会図書館勤務経験者。サラリーマン生活を経験しているせいか、読み手のすぐ近くにいる普通の人だという印象がある。重くならず、軽くならず、その絶妙さが職人技なのだが、読んでいる凡人にはよくわからず、ただ心地よい。殺し文句を言ったことも、言われたこともないが、きっと短いフレーズや、ふとした瞬間に、人は愛情を感じたりするものなんだろう。この人だと決めたら、周囲が何を言ってもどうしようもない。外野が騒げば騒ぐほど閉じてしまう。こうして始まった関係も、だたふとした瞬間に魔法はとけてしまう。永遠に続くかと思った日が嘘のように。これまたほんの一言で見える景色が色褪せるのだから、不思議なものだ。しかしたまには色褪せない関係もあるのだろう。はたまた色褪せなど気にしなくなるのかもしれない。親ならまだしも、他人は祝福しかない。おめでとうございます。末永くお幸せに。

 

佐藤愛子「九十八歳。戦いやまず 日は暮れず」小学館(2021年)

話題の本だったが、手に取ったのは初めて。佐藤愛子さんは今年で98歳なんだ。まさに生涯現役。女性セブンに連載しているものをまとめたらしい。字が大きい。98歳になろうとする作家の語る話はリアリティがある。老いを恐れてジタバタする時代もとっくに過ぎてしまったのだろう。面白い。前向きに生きるなんて、もはや意識にも登らないらしい。そもそも前向きに生きることは、誰かに強いられることではないし。ごもっとも。前向きポジティブ病は全くの大きなお世話で、メディアの勝手な期待に付き合う必要はない。それにそんな余裕もないらしい。1日ぼーっとしているか、この間のBSの養老孟司さんだって、結構ぼんやりしていた。筋トレしたり、フルマラソンしている高齢者の方が例外的なのだね。良寛の言葉を引用していたが、災いに遭うときに遭い、死ぬ時には死ぬのだから。とはいえ、こういう本を読んでしまう自分も、どこか前向きで元気な高齢者を望んでいるのだろう。自分もそうありたいと、どこか思っているらしい。本当に人間は、勝手なものだ。自由に生きて死ぬこと。なかなか難しそうだ。

 

ドライブ・マイ・カー(2021年)

やっと見に行くことができた。見られて良かった。3時間の長尺だが、もう一回見たい気もする。主演は西島秀俊。演劇の役者兼演出家の家福さんを演ずる。愛車サアブは赤くて多摩ナンバー。車が終始登場するこの映画、赤いサアブも重要な出演者だ。その車を運転してくれる運転手が現れ、家福さんは自分の車を運転してもらうことになる。話は面白い、ゆっくり丁寧に進む。映画の中に演劇があって、入れ子になった演劇がやがて外側の人間を覆い尽くす。ドライバーのミサキ、亡くなってしまう奥さんの音、音を知る若手俳優、そして家福さん。4人が奏でる演奏がどんどん高まり重なりクライマックスへと導く。カンヌ映画祭でたくさん賞を取ったらしい。脚本が特に素晴らしい。韓国手話の女優さんや、ミサキが連れて行ったゴミ処理場やら、映画の小道具が洒落ていて、そこから想像が広がる。向き合うべき課題に向き合い、苦しみ悲しみ、そして終わる。やがて死んでいく私たちそれぞれがこの瞬間に向き合うべき苦痛から避けられないこと。痛みを静かに受け止めること。映画は言っていたのかなあ。悲しみを抱え生きることから、始まる世界の可能性を告げているのか。すべてひっくるめて生きるというとらえようのない世界を受け止めろと囁いたのか。うまく言葉にはならないが。映画は素晴らしい。それは確かだ。

ヘミングウェイ短編集(一)大久保康夫訳 新潮文庫(昭和45年初版)

ヘミングウェイは大学の英語の授業で読んだことがある。当時、田舎の大学へ神戸から通っていた美人の先生は、ヘミングウェイなら、私たちでも読めると踏んだのだろう。「インディアン部落」はそのとき読んだ記憶がある。「キリマンジャロの雪」は、アフリカへ行く前に読んだ。本物のキリマンジャロを見る前に、未知の大陸への情報をひとつでも欲しいと思ったのだ。初めて行った海外旅行はアメリカで、キーウエストのヘミングウェイのお家にも行った。猫が一杯いて、お土産に猫のトレーナーを母に買った。ヘミングウェイにはいろいろと思い出があるのだ。甘い感傷を抱いて読んだせいか、ヘミングウェイは良かった。彼の文体は、男っぽい息づかいと、女々しくて繊細な男心がごちゃまぜになっている。話に登場してくる人はどこか崩れているし、何か欠けていたりして、物哀しい。だが、決して弱くはない。駄目なのに堂々としている。映画「ノマドランド」を見たときにも感じた何かが思い出される。これぞアメリカなのかしらん。コロナは収束を迎えることなく1年半が過ぎ、あと1年位はどこにも行けないような気がしてきた。絶望というより、クールダウンにはそれくらいかかるのだろうと思っている。世界も、日本も、個人も、経済的にも、地球環境的にも、倫理的にも、何か見直し転換すべき時期に必要な時間なのかもしれない。ヘミングウェイはそんな時には、程よく考えさせてくれて良かったなと思う。