石川九楊「現代作家100人の字」(平成10年)

20年前の本なので、既に「現代」ではないのだが、そんなことは気にせず、石川九楊の本を初めて読んだ。時々毛筆を書いている人間なので、名前だけは知っていた。石川九楊が百人の有名人の文字を見て、色々書き綴っている。字の書き方、形、配置などからの分析と表現力の巧みさに驚嘆した。書の歴史も、現代の書の現状も深く知った人が語る書の終焉。大変納得させられた。その後20年たった現代。筆書きからペン書きになっただけではなく、手で文字を書くことさえ消えていきそうだ。瀕死。ヤンバルクイナは保護しようとする人たちはいても、「手書き」を守ろうという人はいない。そういう私も手書きの手紙などほとんど書かない。しかし、文字を手で書いて綴ることは、思っている以上に総合的な能力が必要だ。もう私は半分出来なくなっているし、筆文字なら宛名だって書けやしない。筆書きからペン書きに移った時に失った能力も大きいが、手書きを喪失しつつある私たちもまた大きな何かを失いつつある。表意文字を使う我が国は、手書きが特に必要なのではないかと、私は勝手に信じている。このままでいいのだろうか。ツシマヤマネコ並みに「手書き」も保護しないといけないのではないだろうか。相変わらず他人頼りなのだが、こうやって漫然としているうちに、私たちはどんどん失ってきた。そして今も喪失の途中。本当に私たちは失ってみないとその有難みに気がつかないやうにできている。気がつけばとんでもない世界が私たちを待っているのかもしれない。その予兆は既にそこここにある。ああ、怖い。

野上彌生子「秀吉と利休」中公文庫(昭和48年初版)

作者が喜寿を過ぎてからの作品らしいが、重く深く緻密な話だった。重厚さに耐えきれず停滞した時もあったが、やっと読み終えた。昨今の文庫本なら上中下の三巻になりそうな分量。昭和37年に発表された作品で、私には言葉が難しかった。為政者秀吉と芸術顧問利休の縺れ合った関係はスリリングで面白く、なぜ利休は死ななければならなかったのかもうなずけた。秀吉も利休も互いを必要としながらも憎しみあい、愛憎のもつれ具合か微妙で切なかった。利休の暮らす堺は、当時の国際都市だった。幼いうちにヨーロッパへ売られていった娘おちかと、利休の息子の紀三郎の話はこの時代を語るサイドストーリーとして心に残った。丁寧な描写で当時のにぎやかな堺の街、南蛮文化の香りが目の前に立ち上る。作者は100歳まで生きた人らしいから、これを書いた頃はまだまだお元気だったのだろう。とはいえ、作品の重さを考えると相当のスタミナの持ち主だったにちがいない。初めて女性作家の歴史物を読んだ。秀吉の正妻ねねが嫡男を生んだ淀君に対して婦徳を持たざるえないと書いた部分は新鮮だったし、濃厚でぞっとした。女性だから云々は流行らないが、じっとりとした女性の性が海の深層海流のように、底で脈々と流れている気がした。

TBSテレビ日曜劇場「TOKYO MER~走る緊急救命室~」

鈴木亮平さんは好感が持てる。お利口で上品で、その上、人柄もよさそうだ。年頃なら親に紹介したいくらい。日曜夜9時のこの枠は、お父さんも一緒に家族が揃って見る枠なんだろう。毎度パパ好みのドラマが多くてつまらない。今回は医療系ドラマ。月9のドラマも医療系だったが、日曜夜の方が好きだ。なぜなら、鈴木亮平の「善」が見たいと心が言うからだ。走る緊急救命室MERのチーフドクターは、海外の医療現場で活躍していた人。それを都知事が引っ張ってきて、という設定。ありえない。都知事役の石田ゆり子。ゆりこ繋がりの小池さんも石田ゆり子なら大満足だよね。医系技官に賀来賢人。研修医に中条あやみ。小顔が並ぶ。とにかく「ありえない」感一杯のドラマなのだが、何となく見てしまうのが、鈴木亮平の力なのだと思う。これはもう「希望」に近い。こういう人がいてほしい。誠意が見たい。正義が見たい。人道的で、博愛で、優秀な人をみたい。現実の世界には、男前の人も美人も多くないし、判断力抜群で腕のいい医師ばかりでもない。正義はおろか、世間の常識さえ、ここ最近は踏み倒され気味だ。その上、半径5メートルの日常は窮屈で平坦で、溜息ばかりが増えていく。明日からまた1週間が始まるという日曜夜に見るドラマは、そんなつまらない現実よりもファンタジーであるべきなのだろう。新型コロナウィルスが広がって1年半が過ぎている今見る医療ドラマは、どこか別の世界の話のようだ。となると今、こんな日本で「希望」を体現できるには、やっぱり鈴木亮平の超越したお医者しかないのだろう。そう思うと、少し悲しくなるが、現実は厳しい。今日も知らないところで頑張っている人々に感謝して、厳しい世の中を渡っていかねば。渡る世間は鬼ばかり橋田壽賀子さんもそう言っていた。

石川淳「新釈雨月物語・新釈春雨物語」ちくま文庫(1991年)

上田秋成雨月物語春雨物語の現代語訳版。やっと読み終えた。つらかった。自分には難しすぎた。解説が三島由紀夫で昭和29年4月とあるから、新釈の現代語訳自体も半世紀前の話なのだから仕方ないか。前半の雨月物語は面白かった。怪奇的な話が好きなせいもある。春雨物語の方が書きようは簡単なのだが、どうにも入ってこなかった。江戸時代後半に出来た物語だが、文学史的には小説の走りのようなものとなるらしい。上田秋成の生涯も何も知らないが、どうやら不幸な身の上だったらしい。不幸な人間だから見えない世界にひかれるのかもなあと根拠もなく思った。現実に立ち向かう力のあるなしにかかわらず、またその人がどんなに強いか弱いかにも関係なく、心が折れてしまったときに見える景色はちがう。優しい言葉は耳を素通りし、讒言ばかりがこだまする。見えないものを見つめ、聞こえない声に耳を澄まるのは、心の防御反応なのかもしれない。辛い時期もやがて過ぎる、それまで非現実にゆだねながらやり過ごすのが大切。嵐が過ぎるまでの心のテーピング。長期になるひともいるけど。「それでもいいのだ、いいのだ」と、私たちはもっと自分に言ってあげてもいい。

Eテレ「浦沢直樹の漫勉neo 安彦良和」

ガンダム安彦良和さんの漫勉。残念ながら安彦さんの漫画は読んだことがないが、ガンダムは今も大好き。NHKの「ガンダム誕生秘話」という番組で、安彦さんに興味を持った。少しひねくれていて、静かに闘志満々なとこが素敵だと思った。ガンダムの映画音楽LPのジャケット?のアムロの絵。あのカッコいい絵が今も目に焼きついていたので、安彦さんの書くところを是非見たいと思った。ホストの浦沢直樹さんは相変わらず自然体。大きくも小さくも見せない対応がいい。今回は所沢まで出張。「勝負服」できた安彦先生、「今回は画力対決ですか?」なんてとぼけたことをいう。全く不遜で素敵だわ。予想通り、安彦さんの絵はとんでもなかった。頭の中にもう絵ができていて、それをただ腕から指、筆先から出ているという感じ。神業。すっとぼけた72歳の安彦さんは、今もひたすら絵をかいている。ずっと静かに燃えている。迫力がちがう。やっぱり素敵だと再認識。ここ最近、大きな声で調子のいいことばかり言う人が一杯で日本人の駄目さにがっかりしていた。だけど、黙ってちゃんとやっている人も一杯いるんだよって。ちょっと嬉しくなっちゃった。ちゃんとちゃんとだね。そして敵は我に有りだ。

石川純一「宗教世界地図」新潮文庫(平成9年)

古い文庫本の帯のコピーが「『いま』がわかる本」とある。1997年の頃の「いま」は、いまから25年前。当時の私は世界がどんな宗教地図を描いていたかも何も知らなかった。呑気な日本人の若者として海外の国々を旅していた。四半世紀前の日本は、今のようなダメダメじゃなくて、自信一杯の上げ潮の国だった。イスラム教の拡大も、急成長のアジアの国々も、ミャンマーの軍事政権も、対岸の火事だっま。やがて世界はグローバル化して、インターネットの普及でみんながゆるくつながった。世界はどこも同じ風景になって、旅行してても何だかつまらなくなった。でもあっと言う間に軋みだして、パンデミックに至ったわけだ。この本は雑誌の連載だったらしく、ひとつひとつが短い。読みやすいが物足りない。地図がわかりにくい。でも25年前の自分や、あの頃の日本を思い出させてはくれた。あの頃が良かったわけではない。今だってそう悪くもないのかもしれない。宗教は本来、平和や調和を目指すのに、紛争はいっこうになくならない。進むべき道の先には自由で平和な社会があるのかと思っていたが、気がつけばぐるり回って元の位置にいた。未来を夢見て過ごしていた若かりし頃が少し懐かしい。ただ、こんなだめな自分にも、こんなだめな日本にも、がっかりしつつも諦めてもいない。それでもいいじゃん。何があっても生きている限り道は続く。やがて命が終わっても、また別の命が始まるだけ。ゆっくり行こう。

古畑種基「法医学ノート」中公文庫(昭和50年初版)

法医といえば、ドラマ「アンナチュラル」や「監察医朝顔」が思い出される。この本が出た昭和50年には著者は既にお亡くなりになっている。あとがきを見ると単行本として出版されたのは昭和34年となっているから、今から60年も前の話である。当時、科学的捜査がまだ少なかった頃に法医学者として大活躍されていた著者が書いた一般向けの本である。毒殺に関わる物語や、毒殺は女性が企てることが多いなど面白い。ただ時代を感じてしまうのは、著者の物言いのいくつかが今では差別的な感じがするからだ。最近聞き慣れていないせいか居心地が悪い。尊大な物言いに聞こえてしまう。時代が変わればいろいろ変わる。当時は問題ないとされていたのだから仕方ない。過去に遡って、銅像を倒したり、名前を変えたりしているアメリカを見ると、私はやりすぎなのではと思ってしまう。まあ、私がわかっていないのかもしれないのだが。この著者の素晴らしいところは、法医学者としての矜持だと思う。白を白といい。科学を持って毅然として物を言う。かっこいいなと思う。力に飲み込まれたり、利に惑わされたり、目をつぶってしまったりしない。ああ、私は一体何を守っているのだろう。もう守るものは何もないはずなのに。