伊集院静「三年坂」講談社文庫(1992)

知り合いが伊集院静が好きだったと聞いて読むことにした。物置にあったこの本はたぶん昔読んだはずだが、やはり何も覚えていない。短編集でどれもちょっとじめっとした読み心地と、少年の持つ突き抜けた明るさが共存した話だった。決して悲嘆しないしぶとさとでも言うのか、どれも読後感は心地よい。モテる男たるゆえんはこのあたりにあるのかと、伊集院静のモテ伝説を勝手に検証してしまった。そういえば、伊集院静が好きなその人にも、老獪さと天真爛漫さが一緒になったようなところがある。長い付き合いだが、読み終えて初めてそう思った。若い頃に感じた他人の印象はこの年になってみると、随分一面的だったなあと感じる。多面的に相手を知ることは難しいし、自分自身の多面性にも驚くことも多い。わかった気になっているが、何も分かっていないのかもしれない。知れば知るほど、果てしない気分になるのは、知識の世界も人間の世界も同じか。最近は何でも忘れることが得意になった。ウジウジ悩むこともできなくなつた。初心に戻る努力も不要だし、まあそれも仕方ない。さあ、今日も初めての一日になる。