イングリッシュ ペイシェント The English Patient(1996米)

「英国人の患者」という邦題でも良かったかもと思った。ラストになってタイトルの意味するところが分かり、そもそも邦題ならもっと印象的だったのではと思ったからだ。映画は第二次世界大戦下のヨーロッパ。重症を負った英国人の患者を献身的に看護する看護士との関わりを通して、英国人の患者の過去のお話が語られる。看護士ジュリエットビノシュが魅力的で、彼女のインド系恋人キップが私はなかなか好きだった。お話が二重構造になっていて面白いが、2時間半もあるので少しダレる。私がヨーロッパの歴史に詳しい、もしくはヨーロッパ系の人間ならもっと楽しめただろう。細やかな部分は、極東のアジア人には難しかった。出て来る人の顔やら名前やら、発音やら聞けば、ヨーロッパの人ならその人の国籍やら属性がなんとなく分かるだろう。そのあたりが味わえなかったのは残念だった。とはいえ、砂漠を3日3晩歩き回って恋人を助けようとする男の情熱やら感じ入るところはあったし、大作らしい雄大さもあった。ほぼ満足なのであるが、欲張ってしまう。足るを知らない。まだまだ修行が足りないね。

アンネの日記 The Diary of Anne Frank (1959米)

イスラエルハマスの戦いが続いている。パレスチナへの同情的なムードが多い中、イスラエル側の人が言っていた言葉を思い出した。「過去のユダヤ人のことは皆知っているが、今のユダヤ人には誰も関心がない。」と。私の中のユダヤ人もアンネの日記からあまり更新されていない。そんな中、なぜか録画されていた「アンネの日記」を見た。いつ見つかるかもしれないと怯えながら暮らすアンナ(本当はアン?アンネはローマ字読み?)達を見て、一緒に怯えた2時間半だった。若くして亡くなった主人公アンナを思うと無駄に長生きしている自分が申し訳ない気分にさえなる。そんな謙虚なことを考えたりもする一方、あっと言う間に忘れて、他人の痛みに鈍感で無関心な人になる。そういえば、子どもの頃に読んだアンネの日記には、アンナが日記の中に作った心の友キティがいたはずだが、映画では出てこなかった。真似して日記の中に友達を作ったことを何十年ぶりかに思い出した。映画のエキセントリックなアンナは私のイメージとは違った。私が年老いたせいかもしれないし、そもそも記憶が曖昧なのかもしれない。今も戦いは続いている。戦いの火種は至るところにあり、いつでも火がつきそうだ。大事なことは、絶望し過ぎないこと。どんな悲惨な時でもなんとか生きていくこと、そうアンネの日記が伝えていた気がする。

哀れなるものたち(2023英アイルランド米)

とても面白かった。映像も脚本も素晴らしいし。美術も衣装もとてもオシャレ。主演のエマ・ストーンがなにより素敵。久しぶりに100点をあげたくなる映画だった。時代は近代。天才外科医が臓器移植して作り出した女性ベラが解放、成長していくSFファンタジー?。ウィレム・デフォーがツギハギ顔の天才外科医。その外科医が作り出したベラを演じるのが、エマ・ストーン。大人の女性に新生児の脳味噌を持つため、行動は破天荒だが、純粋で素直、何より学び成長する力が凄い。彼女が博士の元から出て旅に出る。過激な学びの末、自由で聡明な女性になって戻って来るお話。面白くて皆にすすめたいが、男性が、見ても同じように面白いと感じるかは分からない。まあ、それはそれ。さて、私たちは生まれながらにして良かれ悪しかれ制約の中で生きている。その中でも親子関係は最大であり、人生を左右する。「親ガチャ」なんて言葉もここ最近はよく耳にする。親子の絆が尊く大切だという一方で、大きな足枷でもある。この映画のベラには親がいない。親がいない不便さはなく、ただただ自由なのである。そこが響いたのかはわからないが、見終わったら明るい気持ちになっていた。やっと親のいない人生を歩んでいる。本当の自由はこれからかもしれない。

 

ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男 Darkest Hour (2010英米)

思ったよりも面白かった。名前は知っているが、実際に何をした人なのか全然知らなかったからだ。これを見てから、クリストファー・ノーランの「ダンケルク」を見に行けば良かったと思った。映画は第二次世界大戦、ドイツがフランスを追い詰め、イギリスはチェンバレン首相が辞任、戦時下の首相にチャーチルがなるところから始まる。風采のあまり上がらな小太りの男がチャーチルで、最後まで徹底抗戦を訴えて、ヒトラーから英国を守るという話。ウクライナイスラエルの戦いが続いている今、一刻も早く戦いを止めるよう手を尽くすのが正解のような気がした。しかしあのときの英国は徹底抗戦で進むのが正解だったらしい。正義も立っている場所で全然違うから難しい。映画では、チャーチルの家族がよかった。妻は美人で聡明、チャーチルを叱る母のような存在。強くてチャーミングだった。首相就任の日、家族で祝杯をあげるシーンが印象的。ヘマをしないように家族みんなで声を合わせて乾杯をするのだ。いい家族だなあ。映画後半に、チャーチルダンケルクの若者を救うために、カーレーにいた師団を見捨てる。師団長に送る手紙には、救援には行かないと二度繰り返し告げていた。直後の爆撃シーンは印象的。誰かの犠牲の上で誰かを救う。誰を助け、誰を切り捨てるかを見極めるのが、政治家の仕事なのかもしれない。みんなが幸せに暮らせるのが一番だが、そういつもうまくいかない。誰かが泥をかぶらねばならない。現実の戦争はまだ終わりが見えない。一刻も早く終わってほしいが、最善の道への答えはまだ出ていない。

坂元志歩著・大阪大学蛋白質研究所監修「いのちのはじまり いのちのおわり」化学同人(2010年)

友人の著書。発売当時に購入したのだが、難しすぎて放置してあった。ここ最近の読者習慣のおかげで今なら読めるのではないかと思い頑張った。あらためてこんな難しい本を書いた友人を尊敬した。多少なりとも内容が理解出来たことも嬉しかった。自分が生まれた偶然性や、地球の歴史から見た我が身のちっぽけさや、体内の小さな細胞ひとつに潜む無限の謎など、何重もの入れ子構造を見るような話だった。タイトルの意味も読み終えてやっとわかった。いのちのおわりまでに読めてよかった。『今、分からないことも、時を経ると分かることがある。分からないのは準備が足りないだけ』と、大学時代の先生に言われたことを思い出した。いろんな事がある日突然つながるのは嬉しい。今は役に立たないこともある日何かの大事な部品だったと気づくことがある。私の存在も、職場でも家庭でも大した役にはたっていない。でもそれでいいのだと思った。価値は自分で決めなくていいし、ましてや他人に決めてもらうことでもない。それがこの本を読んでよくわかった。著者である友人に会いたくなった。

コッホ先生と僕らの革命(2011年独)

ドイツ映画。第一次大戦前の古臭い体質の学校が舞台。イケメンの英語教師コッホ先生がサッカーを通じてガチガチに躾けられていた子どもたちを解放、成長させていく話。コッホ先生はドイツにサッカーを紹介した人らしく、「サッカーの父」とも言われているらしい。そのコッホ先生が魅力的で、卑屈だった子どもたちがサッカーを通じてみるみる変化していくのは痛快。革工場の太っちょの少年が特にいい味を出していた。全体的によくある話だが、幸せな気持ちになる映画である。古い体制を壊して自由を手に入れると、今度はその本人が古い体制になっていくことがある。校舎の窓を割ってバイクを乗り回していた人は、早々に保守化するし、そもそも良家の子女が暴れていたりする。持たざる者の怒りの声は、本当は違う誰かから発せられる。そんな皮肉なことが巷に溢れている。なんだかやる気を失うような流れが私たちを取り囲む。では、どうするべきなのだろうか。答えは簡単に出ない。ただ強くなるしかないのかなあ。それが最適解のような気がしてくる。強くなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない。誰かの言葉が聞こえてきた。

「ふしみ御殿あつらへ」小袖裂と復元小袖 丸紅ギャラリー

日曜日は閉館だったので仕方なく平日の昼間に来た。頂いた招待券で初めて丸紅のビルに入った。ここで働くエリート社員の人たちはどんな人生を歩んできているのだろうかと想像を膨らませながら会場へ。長い廊下は片側に丸紅の歴史が説明してあった。その奥に展示室。真っ先に目に飛び込んできたのは、だいだい色の着物。よく見ると上前と下前の模様が違う。よく見ないとわからない微妙な仕掛けがおしゃれ。この着物の成立過程が丁寧に段階を追って再現されていた。オーディオカイドをきけば、有り難さがもっとよく分かったのだが、残念ながら時間があまりなかった。墨字書きが残っている着物や、着物の切れ端を眺めていたらあっと言う間に展示が終わった。ギャラリーだし、こんなものかもしれない。丸紅には、室町の着物が現存するのかとぼんやり思いをはせた。そういえば何年か前に行ったお茶会でも、室町の茶碗を見せて貰った気がする。あるところにはあるものだ。何もないはずの我が家には物が溢れている。物の価値とはなんだろう。全部捨ててもいいような気さえするが、そしたら自分も要らない気がしてくる。いけない。いけない。極端な思考は人を幸せにしない。はい。今日も頑張りましょう。