NHK ドラマ10 「ブランケットキャッツ」

重松清原作のネコにまつわる一話完結の連続ドラマ。この間の富田靖子の話が2週連続で最終回だった。西島秀俊に興味がないので、期待せずに見ていた。でも、最後にドーンときた。富田靖子は48歳の地味なバツ2の独身女性。暗くて寂しい人生を送ってきて、その上、今は胃がんにかかっている。ひとりぼっちの48歳の女。富田靖子は地味だけど、真面目に生きてきた中年女性をうまく演じていた。「さびしんぽう」富田靖子は薄幸が似合う。どこかさびしげで悲しい。会社のお金を持ち出し、最後の旅に出かける。旅の道連れに、西島秀俊のところからネコのクロを連れていく。西島秀俊は、妻を亡くしていた。仕事が忙しいと、クロを病院に連れていって欲しいという妻の頼みを断り、妻はクロを連れて出かけて交通事故で亡くなった。年齢を重ねて迎える絶望と後悔、孤独とむなしさ、そこにそっと寄り添うのがネコなのかもしれない。まさにブランケットキャッツ。毎回毎回、ネコが登場する。どのネコも個性があって、名演でかわいい。猫好きではまったくないのだが、ネコを飼いたい気持ちが少しわかった。それにしても重松清ワールド、これに涙するようになったら、まぎれもなく人生は後半だ。ほんと切ないねぇ。

テレビ朝日「黒革の手帖」

やっと武井咲がまともなドラマに出てくれた。松本清張原作の有名なドラマは、米倉良子を始め、多くの女優さんが演じている。貧しく育った美しい娘が詐欺を重ね銀座のクラブでのし上がっていく話だ。武井咲は、「大切なことはすべて君が教えてくれた」の時は、先生役の三浦春馬を翻弄する美しくてあやうい女子高生だった。あれはよかった。しかし、その後はまったくダメだった。どうしてこんなドラマに出るかなあ・・・・といつも思っていた。しかし「黒革の手帖」はいい。どうも武井咲はちょっと「したたかな」役の方がいいのである。明るくかわいい役じゃあないのである。今回は、「あなそれ」で怖い奥さんを好演した仲里依紗が、ライバル?「波子」で登場。仲里依紗はヤンキー力全開で、子ネコみたいなかわいい。「逃げる女」の時の狂気もあって、今、旬の女優さんである。先輩ママに真矢みき、波子に入れ込む美容整形の院長に奥田瑛二。その古い愛人に高畑淳子。結構豪華な配役。高畑淳子は去年の今ごろは息子の不祥事であやまっていたが、最近ちょこちょこ、底意地の悪い役で復活している。悪役だと視聴者からも文句がこないのかな。武井咲と関係を持つ政治家安島役が江口洋介江口洋介って存在がなんだか薄い。イマイチ。でも武井咲が美しいからまあいいか。奥田瑛二演じる院長先生が、「国有地の払い下げで土地をただみたいな値段で手に入れる」ってな、ことを言っていた。こういう話は以前はドラマだけの世界かと思っていたがそうではないらしい。いい年をして私はほんとにあまちゃんだ。

 

TBS「カンナさーん」

人気者渡辺直美のドラマである。シングルマザーで仕事もママも元気に頑張る話である。夫が要潤要潤の昔の彼女がシシドカフカ。そのふたりが再燃して、妻の渡辺直美は子どもを連れて離婚。姑の斎藤由貴やら、保育士の工藤阿須加なんかを巻き込んで頑張るカンナさんの話である。ストーリーは「朝ドラのり」だが、渡辺直美だからいいのである。デザイナー役の渡辺直美は毎週オシャレなファッションで登場。迫力ボディにゴージャスなメイクでじつにかわいい。ストーリーはやや説教臭い。でも渡辺直美がデブだからみんな許せる。これが真木よう子なら許せなかった。真木よう子主演の「セシルのもくろみ」はイケテナイ主婦が読モになって心身ともに成長していくって話みたいだが、真木よう子はやっぱりキレイだから無理がある。真木よう子の役も渡辺直美がやれば、断然面白かったかも。結局渡辺直美は何をやっても視聴者は安心して見られるのだ。彼女の太さに安心を覚えるのだ。そしてかわいい姿に希望を見いだすのだ。夫役の要潤とシシドカフカが胡散臭くていい。要潤ならカンナさんと結婚しそうだし、離婚もしそうだ。その相手が菜々緖じゃなくて、シシドカフカってのも絶妙である。フェイク感満載。捨てられたカンナさーんの正しさが際立つし、要潤とシシドカフカの関係がなんかチープに見える。しかし、結局私たちは、誰かを少し見下ろして、自分の安定を感じたいのだ。だからゴシップだーいすき。本当に私たちは始末に負えない。

日テレ「過保護のカホコ」

朝ドラ「トト姉ちゃん」の高畑充希が過保護で育った大学4年生の「カホコ」を演じている。ドコモのCMの色っぽいお姉さんより、まんまるお目めとふわふわファッションの「カホコ」の方が私は好きだ。愚直な「カホコ」が、同じ大学の麦野君(竹内涼真)に辛辣な言葉を浴びせられながらも成長していくストーリーらしい。カホコの母親が黒木瞳、気弱なお父さんが時任三郎。強気の母とやさしい父、いまどきよくある家庭の風景だ。しかし、番組に流れるどこか悪意に満ちた視線。これは何だろうなあと思って最後まで見ていたら、脚本は遊川和彦。なるほどなるほど。面白いはずだ。高畑充希演じるカホコは素直で善良。でもそのおかげで周囲の人間を次々に追い込んでいく。恵まれた人間の脳天気な善意は暴力に近い。それにしてもまだ始まったばかりだが、今のところ一番面白そうな気がする。もちろん遊川和彦嫌いや、高畑充希嫌いが、一定数はいるので、星野源新垣結衣みたいにはいかない。でも私は遊川和彦の作品が好きだ。あの「純と愛」でさえまで最後までみたのだから。圏外(旦那の実家)に行くと声が小さくなる黒木瞳や、ノリノリだが直ぐにすねるカホコの祖父西岡徳馬や、お金をあげることぐらいしかすることないもうひとりの祖父平泉成やら。みな胡散臭くてホッとする。そもそも家族はそういう面倒くささを引き受ける場所なのだから。

ジャコメッティ展  国立新美術館

ミュシャ展の時の長蛇の列が嘘のように、乃木坂の国立新美術館は静かだった。スイスの彫刻家ジャコメッティの回顧展を見に行った。ジャコメッティの名前は知らなかった。神経過敏で硬質な感じかと思ったら、実際は美しくて繊細な世界だった。ジャコメッティは見たままを作品にしていったら、どんどん作品が小さくなって、マッチ箱に入る極小の作品になったという。意味が分からなかった。今度は大きさを1メートル以上にしようとしたら、どんどん細くなっていったらしい。まさに研ぎ澄まされていった。余分なものがそぎ落とされて、本質だけが形になった。針金で作ったような細長い病的な佇まいは、哲学的な気分にする。日本人哲学者の矢内原伊作さんとは親交があって、彼はモデルもしていたらしい。確かに何かを考えさせる。あんなに細くても女性の像は男性には見えないし。ジャコメッティは彫刻家だが、その入り口は絵画だったらしい。音楽家がまずはピアノから入るみたいに。油絵はグレーがかった絵が多くて、彫刻と似た思索的な雰囲気がある。生涯、フランスのモンパルナスの小さなアトリエで暮らしたジャコメッティ。休息で訪れたカフェでもナプキンや新聞にクロッキーをしていた。片時も創作から離れたくなかったのだろう。入口の展示「大きな像 レオーニ」は、天井からの一筋の光が、細長い女性の身体全身に注がれていた。なんとも言えない崇高で清心な気持ちになった。作品を見ていくと何だか分からないが胸がつまった。言葉では説明できない何かがこみ上げてきた。最近は言葉が多すぎるのだ。言葉は魅力的だが、時々そこから脱け出して、ただただ感覚だけの世界に沈みたくなる。あふれる情報で、ハーメルンの笛で呼び出されたネズミや子どものように、どこかへ連れて行かれてそのまま消えてしまいそうなのかもしれない。

高野山 壇上伽藍 金剛峯寺 霊宝館 奥の院 宿坊「不動院」

司馬遼太郎の「空海の風景」を読んで高野山に来た。16歳の頃に一度来ているが記憶はない。7月初旬、曇った空は雨を我慢している。南海なんば駅から特急こうや高野山へ。橋本を越えた辺りから緑が濃くなり、鬱蒼とした緑が放つ生命感が天空の宗教都市「高野山」への気分を盛り上げる。いくつかのトンネルを越えると終点極楽橋に到着。そこからはケーブルカーで高野山駅へ。高野山駅からはバスで高野山の街へ下る。バスの乗客の半分は外国人だ。高野山金剛峯寺空海真言宗を。比叡山延暦寺最澄天台宗を開いたところ。空海最澄は合わせ鏡のように記憶していたが、司馬遼太郎の話では、密教を本格的に日本に広めたのは空海であり、最澄はその一部を広めたにすぎない。司馬さんが描くふたりの有名僧の関わりは、日曜9時のサラリーマン男性向けのドラマのようで、政治や嫉みでちょっとドロドロ。まさに泥の池から蓮が咲くだ。真言宗とは、仏の言葉「真言」を聞くこと。仏が我に入り、我が仏に入るがごとき。瞑想を介して真言を得る。顕教に対する密教。この世の宇宙の法則は人間の言葉を越えた世界。それを言葉で説明するのだから、分からないのも仕方ない。壇上伽藍の大塔は朱色が美しい。中の仏像と柱の如来はそのまま曼荼羅の世界。なにやら異空間に入った。金剛峯寺は大きい。ふすま絵と蝙龍庭の石庭の合間に、お茶とお菓子が振る舞われる。麩のおせんべいにほんのり和三盆が塗られている。お茶もやけに美味しい。寺の内部は開放されていて庫裏までのぞける。お釜に水場があって、寺の日常が今も高野山が信仰の場として現役であることを物語る。夜は宿坊で精進料理と写経。翌朝の勤行は遠慮して、早朝の奥の院へ。御陵へと続く道は大きな杉の木立に石畳。有名な偉人の墓が並ぶ。今も空海上人がおわす御廟まで行くと霊気が満ちていた。ここは真言密教の本山だもの。何かが宿っているのだ。帰りは期待せずに霊宝館に立ち寄った。ここは宝の山。巨大な曼陀羅と数々の仏像。素晴らしい。入口の阿弥陀如来の説明を、欧米由来の僧が英語でしていた。英語で聞く方が日本語の難解な言葉の羅列よりも理解しやすい。宝の山を後にして、帰りの特急「こうや」に乗る頃にはすがすがしい空気が体内に満ちていた。今ここに存在する自分と取り巻く世界の境界を限りなく曖昧にしよう。仏が入り、仏に入る。そこには誰よりも強く美しい世界があって気持ち良い水が流れている気がする。

NHK ETV特集「加藤一二三という、男ありけり」

話題の「ひふみん」こと加藤一二三九段のドキュメンタリーだ。「ひふみん」の存在を知ったのは、少し前に見たNHKの「ノーナレ」という番組だった。タイトル通りナレーションが一切ない番組で、インタビューと映像でつないでいた。その形式も良かったが、その番組で、私も「ひふみん」が好きになってしまった。今回のETV特集は、「ノーナレ」の内容に話題の最年少天才棋士藤井聡太との新しい映像などを加えての再編集ものだった。「ノーナレ」の時に見た映像がたくさんあったが、あらためて見ても感動した。ひふみん伝説も面白かったし、彼の人柄も素敵だし、ひふみんの奥様の桜の花びらの話も、ググっときた。羽生さんが「人知を超えた世界」というのも納得だ。ひふみんも今の藤井聡太四段と同じように、天才棋士として14歳から将棋の世界に入った。そして77歳。先頃ついに引退した。敬虔なクリスチャンで、教会で大きな体を丸くして祈る姿は印象的だった。神から与えられた将棋という才能を存分に生かさないといけない。神様を先回りしてはいけない。だから自分から将棋を止めることはできない。まさに神の前でこうべをたれ愚直に従う姿は信仰のあるべき姿だ。誰にも負けない純粋さがあったからこそ。負けても負けても戦い続けられたのかもしれない。東の正横綱になった人が十両まで落ちて勝負をする人はいないという。頂点を極めた人間ほど、底辺まで下れない。あの柔和な顔に勝負に生きてきた人間の「すごみ」がある。桜の花びらは散っても美しい。ぱくぱく美味しそうに鰻重を食べる姿もいとおしい。人は心持ち次第で、美しく強く生きていくことができるのだと。ひふみんに教えてもらったような気がする。ちょっと幸せな気持ちにさせる番組だった。