井上靖「西域物語」新潮文庫(昭和52年初版)

中央アジアに行ってみたい。漠然と以前からそう思っている。シルクロードという魅惑的な言葉を聞くと今も喜多郎の音楽が耳に流れる。井上靖天平の甍や敦煌のせいかもしれない。なぜか心ひかれる西域の話を読んでみたくなった。井上靖の文章が好きだ。大き過ぎず、劇的過ぎず、ちょうどよい具合のロマンがある。読んで特に行きたいと思ったのはイシククル湖だ。湖の底には都市が沈んでいるという。美しい湖だけが歴史を知るか。西域はたくさんの歴史を語ることなく多くを謎のままにして、現在に至っている。付録のアフガニスタンの話にバーミヤンの石窟の話がある。タリバンが破壊したことで有名になったが、この辺りは蒙古やアラブの侵攻で何度も破壊されていたのだね。最近亡くなった中村哲医師のことも思い出した。殺戮のやまない大地ゆえに、祈りがまた生まれるのだ。本は古い。この辺りも今はだいぶ様子が違うのだろう。ただ果てしなく大地は続くし、過去から現在につながる悠久の歴史は不変だ。私自身が砂と化してしまう前に西域の夕日を浴びてみたい。

ジョーカーJoker(2019)

話題の映画をやっと見た。すさんだ街、ゴッサムシティのピエロがジョーカーになるお話。主人公アーサーは心に病を抱えていた。ピエロのメイクをして街角に立つサンドイッチマンの仕事をしている。何も悪いことはしていないのだが、気味が悪い人である。それもあって街のならず者にぶちのめされたりと、ひどいめによくあう。家に帰れば、神経症の老いた母がいる。家族は二人。心やさしい息子だが、社会的には落伍者。ちょっといっちゃっている。市は財政難から福祉サービスを打ち切る。街はますます荒れていく。アーサーもだんだん手に負えない人になっていく。全く救いのない話だが、不思議と惹き付けられていく。美しい映像だし、アーサーは気味悪いけど全くの悪ではない。世界が持つ者と持たざる者の隙間を広げていく今、ベクトルは愛と平和、融和から遠ざかっていくばかり。誰もがジョーカーだし、いつジョーカーになるかもしれない。世界はそれでも動きを止めない。はて、私たちはどうしたらいいのだろう。正解はない。

NHK朝ドラ「スカーレット」

久しぶりに朝ドラをみている。「トト姉ちゃん」以来。ここ最近のはだいたい最初の2週間で脱落。辛い時代が続いた。今回は主演の戸田恵梨香が陶芸家になるというお話。貧しい家で育ち健気に生きる主人公喜美子。親の借金を払ったり、美術学校もあきらめて信楽へ帰ってきたり、なかなか苦労しているのもいい。定められた運命の中で最大限の夢を見る。当たり前のリアリティもある。奇妙な関西弁もないし快適。イッセー尾形演じる「フカ先生」もいい。拍子抜けするふわふわの先生、「ええよ~」。頑張りすぎない緩やか
さ、でもちゃんと自分のために頑張る。でも夢を追っている人だけが偉いわけではない。いい台詞がさりげなく満載。スーパーフライの「フレア」も伸びやかで明るい歌声。でも語る世界は甘くない。大人が優しい時代になったけど、世の中は甘くない。誰かを追い詰めてはいけない。でも自分は多少自分を追い詰めないと成長しない。成長の先に見える景色は格別だ。誰にもその景色はある。見に行かないのは惜しい気する。

日本テレビ「同期のサクラ」

遊川和彦脚本。「過保護のカホコ」「ハケン占い師アタル」と同じ系列のドラマ。高畑充
希が銀縁メガネと地味スーツを着た変わった女の子サクラを演じる。大手ゼネコンに同期
で入社した5人が研修でチームになる。サクラはハガネの心でマイペース。軋轢を生みだすことに躊躇がない。そんなサクラはそれぞれの部署で働きだした同期を次々と変えていくというストーリー。今のところはそういう話だ。高畑充希演じる「サクラ」の同調圧力を無視した行動、忖度しないところに、見るものはドキドキしながらも、気持ちよさを感じてしまう。そもそも、今流れている、よどんだ空気を変えてほしいと思っている人は多い。でも、サクラにはなりたくないし、なれない。ドラマはその辺りをくすぐっていく。ただ革命家には迫害がつきものだ。ベッドで横たわったサクラに一体どんなことがあったんだろう。勇気を持って戦う人間になれなくても、せめて応援くらいはしよう。それくらいの勇気はあるよ

日本テレビ「俺の話は長い」

小池栄子生田斗真のやり取りがいい。気持ちがいい。ホームドラマだね。食事のシーンが多い。面倒くさい弟としっかり者の姉の会話に、母親の原田美枝子と、姉の夫の安田顕と、娘の清原果邪が加わって、絶妙な時間が流れていく。懐かしいけど、古くない。二部構成で前半後半で話題が変わるのも新鮮だ。脚本は金子茂樹さん。「もみ消して冬」も好きだったな。今季一番楽しみにしているドラマ。働かない息子も、再婚家族も、今はそのあたりにごろごろ転がっている。無理やりどこかに帰着するような大げさな筋立てもない。でもセリフが少しずつ心にひっかかる。「昭和生まれはハロウィーンが嫌い」もそうだし。喫茶ポラリスって名前もそうだ。昭和、平成、令和と時代は流れ、ハロウィーンも定着したらしいし、家族の形も、生き方も、考え方も変化した。以前のやり方はダメなのか。家族という一番小さな社会も例外なく変化の波にさらされる。そもそも家族という社会はほぼ全員にあり、生まれて最初の社会である。面倒くさいが、なければ困る。ややこしいが、失うと穴があく。たまたま家族なんだが、奇跡的な出会いでもある。家族ほしいな。

藤沢周平「三屋清左衛門残日録」文春文庫(1992年初版)

主人公の三屋清左衛門は隠居して間もない男。年齢は50台後半といったところ。江戸時代のある藩の話だ。そうか、私もそろそろ隠居の歳かあ、と関係のない感慨に浸りながら読み始めた。藤沢周平の小説は上等な晩御飯のよう。新鮮な食材を丁寧に下ごしらえして、出汁をきかせて味つけをしたような美味しさ。それでいて構えたところは全くない。しびれる。息子に家督を譲って隠居の身となった清左衛門。藩主の用人にまで上り詰め、出世しての隠居。妻女には先立たれたが、息子夫婦にも大事にされて暮らしている。周囲から見たらうらやましい限り。何の不満もない余生である。だが、そう簡単ではない。毎日ただ幸せを噛みしめていけるなら、老後は大した苦労はない。老年の始まりは肉体の衰えからだ。特に最初は老いに慣れていない。気持ちが後ろむきに、気分も沈みがち。喪失感だけが増していく日常の中で、それでも気持ちよく暮らしていくには工夫や努力が必要なのだろう。夕日は思いのほか早く沈む。残日録か、もうそんなに長くはないのだね。

昭和史が面白い 半藤一利編 文春文庫(2000年)

令和元年に昭和史の対談集を読む。歴史が苦手だ。よく知らない。特に昭和史はドラマで見たものを信じているところがある。恥ずかしい。なるべく今からでも勉強しよう。そう思って、半藤一利さんのならきっと面白いと読みだした。東京裁判の話や昭和天皇の話など私に限らず知らない人が一杯なのではと思う。歴史の重要性も生物の多様性もよく分からないまま私は大人になってしまった。気がつけばもういつ死んでもいい年齢にまでなっていた。世の中がダメ、政治家もダメ、若者も、高齢者も、みんなダメ。でも一番ダメなのは、自分だ。頑張ったと誉めてくれる人ももういないが、少しでも勉強して、少しでも良い人になって、死んでいきたい。ちゃんと死ぬために、ちゃんと頑張らねば。