主人公の三屋清左衛門は隠居して間もない男。年齢は50台後半といったところ。江戸時代のある藩の話だ。そうか、私もそろそろ隠居の歳かあ、と関係のない感慨に浸りながら読み始めた。藤沢周平の小説は上等な晩御飯のよう。新鮮な食材を丁寧に下ごしらえして、出汁をきかせて味つけをしたような美味しさ。それでいて構えたところは全くない。しびれる。息子に家督を譲って隠居の身となった清左衛門。藩主の用人にまで上り詰め、出世しての隠居。妻女には先立たれたが、息子夫婦にも大事にされて暮らしている。周囲から見たらうらやましい限り。何の不満もない余生である。だが、そう簡単ではない。毎日ただ幸せを噛みしめていけるなら、老後は大した苦労はない。老年の始まりは肉体の衰えからだ。特に最初は老いに慣れていない。気持ちが後ろむきに、気分も沈みがち。喪失感だけが増していく日常の中で、それでも気持ちよく暮らしていくには工夫や努力が必要なのだろう。夕日は思いのほか早く沈む。残日録か、もうそんなに長くはないのだね。