映画「黒い雨」は確かスーちゃんが矢須子を演じていた。白い肌に黒い雨が印象的な映像で、あのシーンだけ今も思い出す。小説は広島の原爆投下から数年たった頃、叔父の重松が姪の矢須子の縁談がうまくいかないことを不憫に思っているところから始まる。重松が自らの体験を綴った被爆日記を清書しながら、原爆投下前後の広島を市井の人の目線で描いている。戦後75年。戦争知らない子どもたちばかりになった今、瞬時に火の海になった広島を想像するのは難しい。閃光を浴びた当時の人々は瞬時に死んでいった。一命を取り留めた人も追いかけるように死んでいった。助けに行った人も死んだ。看病した人も死んだ。どんどん死んだ。皆、それが何かであるかも知らないまま死んだ。姪の矢須子は被爆を免れたのに黒い雨を浴びたおかげで、被爆した重松よりも重症だ。ああかわいそうに。小説はあの頃の人々がただ暮らして行く姿を描く。大袈裟なことは何も言わず、いくぶんゆったりとした感じで日常を語る。大切なことは声高に語ってはいけない。今、コロナ禍で世界中で人が死んでいく。くらべものにはならないが、私たちも世界の全容を知ることはない。溢れる情報に溺れながら自分が死ぬ理由もわからないまま、さようなら。そうなっても何の不思議もないのだね。