赤瀬川原平「千利休 無言の前衛」岩波新書(1990年初版)

路上観察」や「老人力」の言葉で知ってはいたが、赤瀬川原平さんの本は読んだことがなかった。最初、なぜ千利休なんだろうと思った。今から30年ほど前の映画「千利休」の脚本を彼が書いていたと知り驚いた。草月流の家元勅使川原宏監督のこの映画を公開当時に見てビビッと来た覚えがある。咲き乱れる朝顔をすべて切り落とし、たった1輪だけを茶室に飾ったシーンは今も目に浮かぶ。あの映画の脚本を書いていたのが赤瀬川原平さんだったとは。本書は千利休と前衛が語られている。前衛は時代のひとつ先を切り込む刀のような存在であり、千利休がまさにそうだ。利休は堺の魚問屋の商人でもあった。当時の堺は栄えた港町だった。今は港に放置されている大きな石だけが茶室の存在を語るだけになったとか。当時の堺には大河ドラマでは表現できないムードや熱気があったのだろう。それがすっかり消滅していることも、ある意味、利休によって全部切られた朝顔のような潔さを感じる。利休の沈黙の世界と秀吉の饒舌な世界との交錯。それこそ茶室で繰り広げられる一期一会の戦いだったのだろう。本書は、そんな利休の前衛性を、路上観察トマソン物件や、極小世界ディテールへの日本人のこだわり、ドイツと日本の世界2大貧乏性の話などの、全く違う話を重ねて語っていく。話の矛先が多岐にわたり、一体どこに連れていかれるのかと思っていると、最後にはパシッと利休に帰る。唸ってしまうほど、かっこいいしめ方。赤瀬川さんの本物の前衛ぶりにしびれた。もっとしびれさせてほしいが、もう空の上。みんな先に行ってしまう。悲しいよ。