ちくま日本文学全集「宮澤賢治1896-1933」筑摩書房(1993年)

折角、宮澤賢治の扉を開いたのだからと、全集を読むことにした。巻末に井上ひさしが「賢治の祈り」と題して書いている。賢治の作品は、賢治その人自身と密接に結びついて読むものだと。年譜を読むと、花巻の商家の生まれだということ、二つ下の妹を失ったこと、仏教との関わりがあったこと、35歳で亡くなったことなどがわかった。賢治の生涯を考えながら読むと、確かに作品が一層鮮やかに立ち上がる。賢治の作品はわかりづらい言葉づかいが多々ある。我慢して読み進めていくと、漠としてはいるが、何がしかの像が結ばれてくるのが不思議がある。これが、井上ひさしが言う、「彼の作品は祈りである」とつながる。念仏の意味は分からないが、唱える心に祈りは宿る。自分の命を顧みることもなく、自らの思うことに従い、作品に祈りを込めた。人間ひとりの小さな祈りは今も読む人の心を照らす。神聖な灯火が心を揺らす。さて、現在の私たちの祈りは、一刻も早い疫病の終息だ。1日も早くマスクを外せる日を心待ちにしている。しかし、願いの先にあったのは聖火リレーだった。オリンピックというきらびやかなお祭りがもう何年も前から大金をつぎ込んだ虚飾一杯なイベントなのは知っていた。我が国もどうやら表沙汰に出来ない大金をつぎ込んで誘致したし、多くの人がそこに群がった。新型コロナウイルスの登場で、今、世界はいやおうなしに既存のルールを変えようとしている。どうなるかは誰にもわからないが、早く私たちの願いが叶いますように。心からそう願う。