井上靖「孔子」 新潮文庫(1989)

天平の甍」で気を良くして読み始めた井上靖の最後の作品。今から2500年前の思想家、孔子の話だ。さすがに資料も少なく孔子を主人公にした小説をすることは困難だったのだろう。架空の弟子が孔子を語るという形式で話が進む。この形式が若干くどいなあと思ったものの、的確で破綻のない文章のおかげで読み終えた。儒家の祖「孔子」には多くの弟子がいたそうだが、その中でも、高弟と言われる子路、子貢、顔回と共に流浪の旅を続けた晩年の話が中心である。弟子は三者三様、3人が揃えばこの乱れた世を治める大きな力になると信じて進んだ孔子だったが、思いを遂げることなく終わる。混乱した世界で、師弟の深い理解といたわり合いは、崇高で美しい。井上靖自身が遺作のつもりで書いたどうかは分からないが、孔子の「仁」や「天命」について、彼自身が語っているような気がした。人がふたりいると、芽生える相手を思いやる心が「仁」である。紀元前500年前に既にそんなことを言っていた人がいたのだと思った。人類は大した進歩などしていない気もする。コミュニュケーションツールは発達したが、理解が深まっているかは分からない。スマホの向こうにいる誰と本当に繋がっていて、そのつながりはどのくらい大切なのかも、よく分からない。でも、努力とはなんら関係なく、天が味方することもあるし、味方しないこともある。努力が報わることも、あっさり水泡に終わることもある。お気楽な私でも多少は分かるようになってきた。ああ気がつけば「天命」。人生は短い。