新年最初の1冊は、昨年から続く太宰治。再読だが、何度読んでも思索が広がる。解説がまた読み応えがあった。太宰治の甘ったれた破滅型天才ぶりは青森の名士でお金持ちの家の六男坊だったことから始まっている。今風に言えば、歪んだ自信と枯渇したアタッチメントが原因というのかなあ。だからこそ生まれた名作である。不幸は芸術の種であり、心の解放こそアートの真骨頂なんだけど。昨今のアートは2世やお金持ちの人ばかり。悩みなさそうな人達が頑張っている。若いうちから英才教育された競走馬のようなタイプが多くて総じてお行儀がいい。太宰治ほどの自己破壊衝動に進む人もいるのかなあ。わたしも若者の頃は太宰のような夭折の天才に憧れていたが、結局何もないまま現在に至っている。平凡って本当に幸せな事で有り難い。でも同時につまらなくて反吐が出る。眩しいほどの才能や非凡さに惹かれたのも今では懐かしい。純粋さも失ってしまったが、それでもそれが悪くないと思えるのは、負け惜しみである。透き通った朝日よりも傾いた西日の暖かさを求めしまうのは、自分自身が沈みゆくせいだ。あーあ。願わくは、夕日に照らされ眠るように死んでいきたい。どこまでも凡庸な新年の願い。