Stronger (2017)

ガールフレンドが出場しているマラソンのゴール地点で、彼女を待っている間に爆破テロに巻き込まれ、両足を失ってしまった男性の話を元にした映画。両足の膝から下を突然失った青年ジェフ。絶望した家族は、職場の人が面会に来ると、『一生働けない息子はどうしたらいいの!』と怒って追い返そうとする。しかし職場の人が保険があるので、サインをくれたらお金が出るよと言うと、家族の態度は一気に変わる。その上、ジェフはテロリストの顔を目撃していた。FBIが来て犯人逮捕。ジェフはテロに屈しない英雄、Boston Strongになってしまう。マスコミはジェフをヒーローとして持ち上げる。一方、事の発端のボストンマラソンに出場していた彼女のエリン。ジェフとの仲は冷めかけていたのだが、自分の応援で足を失ったジェフに同情&愛情が生まれ献身的に尽くす。ジェフはマスコミにちやほやされるほど、心はどんどん荒んでいく。そんな中エリンは妊娠。『子どもなんて持つ事は出来ないよ!』とジェフ。『じゃあ、どうすんのよ!!!』とエリン。ジェフは酒に溺れ、エリンは離れていく・・・。そんなある日転機が訪れる。ジェフは自分を助けてくれた男性に会って話をする。イラク戦争で息子を失ったその男性は、ジェフを救ったことで亡くした息子を救った気持ちになったという。無用な存在だと思っていた自分の存在が誰かの助けとなったと知り、ジェフは立ち直るきっかけをつかむ。いい話である。名演だし。生々しい現実とも向き合いながらも、もがく主人公の姿は心を打つ。それにしてもアメリカは勇敢な者を褒め称える。はからずもそういう立場になってしまった主人公の苦悩はゾッとする。障害を抱えて生きる人間を前にして、応援したいと思う気持ちの手前で、自分がそうならなくて良かったと思う自分がいる。そんなのはバレバレだから、そんなのお構いなしがいいのだが。些細なところでひっかかって身動き出来なくなっている自分も、まもなくそちら側に行く。

NHKドラマ10「女子的生活」

面白い。最近はLGTBが話題にのぼることが本当に多い。このドラマでは志尊淳がトランスジェンダーの主人公ミキこと幹生を演じている。かわいいし、見事に今どきの女子になっている。女装している男性ではない、立ち居振る舞いが完全女子なのだ。女性の格好だが、体は男性、そして好きなのは女の子という、ちょっと複雑な役柄だが、志尊淳がとてもいい。そのミキの高校時代の同級生で同居人の後藤君を演じているのは町田啓太。おバカだが可愛いげのある役で、今回は彼にぴ ったりだ。全四回の三回目はミキが故郷香住で、父と兄に再会する回だった。家族だからこそ許せないこと、家族だから摩擦を生んでしまうこと。家族だから溜まった膿を吐き出し傷つけあってしまうことなどなど。ラストで香住のカニを食べるシーンはそんなややこしさをとりあえず抱えながら生きていくミキと、それを応援する後藤君が良かった。ジーンと来た。このドラマ、ミキの声がハッシュタグ付きで画面に文字が出る。それがセンスいい。田舎で気弱に生きているテキスタイルデザイナーの女の子の微妙な自分に対する態度なども繊細で面白い。久しぶりにガッツリ見てしまったドラマ。おすすめ。

Battle of the sexes (2017)

映画「ララランド」のエマストーンが、テニスのキング夫人を演じている映画である。あの細くて華奢な彼女が、テニス界の女王を演じるために、数㎏分の筋肉をつけたとか。映画では、メイク、服装、すべてが1970年代。エマは見事にキング夫人だった。お話は有名な男女対抗試合のお話。男子テニスプレーヤーで、ハスラーでもあった、55歳のリッグスと、当時女子テニス界の頂点にいた20歳台のキング夫人ことビリージーンとの戦いだ。女性の地位が低くて当たり前の時代。まあ今も意識下ではあまり変わっていないのではあるが。そういう男と女の戦いの裏でビリージーンは美容師マリリンと恋に落ちる。結婚していたビリージーンは男女の垣根を越えてマリリンを愛する。一方献身的にビリージーンを支える夫ラリー。ビリージーンの揺れる心と、それでも、テニスでリッグスを倒すと心に決め、戦いに挑む姿はりりしくてかっこいい。スポーツで頂点を極める人の持つ自信と殺気がみなぎっていて、試合も見ごたえがあった。マリリンとの関係がさら〜っときれいな話で良かったと思う。タイトルは物騒だったか、内容はむしろ明るくてコミカルでよかった。最近のLGBT流行り。殊更深刻ぶるのは好きじゃない。みんな人間だもの。

映画「三月のライオン」(前編・後編)(2017)

長いフライトに任せて、前編・後編を一気に見ることができた。お気に入りの神木隆之介君が主演。繊細だが、切れ味鋭い主人公桐山零を演じる。家族全員を交通事故で失った桐山零は父親の友人の棋士の元で育つ。養父には同じ年頃の姉と弟のふたりの子どもがいて、彼はそのふたりと共に棋士を目指した。姉の香子が有村架純。これはミスキャスト。彼女の甘ったるい顔が、父親であり、棋士である豊川悦司に毒づき、棋士伊藤英明と不倫し、自暴自棄になる娘の役にはどうしても見えない。二階堂ふみなら違和感なかったかもしれない。凄いのは、一瞬誰だか分からないほど太った染谷将太。まんまるの奇人、二海堂になりきっていた。棋士の島田を演じた佐々木蔵之介も良かった。頭をかきむしって心身消耗する姿には鬼気迫るものがあった。そしてトップ棋士宗谷を演じるのが加瀬亮。なんともいえない異様な雰囲気でゾクゾクさせてくれた。伊藤英明のキレキャラも、伊勢谷友介の駄目ブリも、ひなたちゃん演じる清野果那の可憐さも、それぞれが際立っていて前半後半4時間があっという間だった。将棋ブームの昨今、若き天才棋士、藤井4段の姿と神木君の桐山零がかぶる。映画の世界から現実の世界が透けるようだ。将棋を知らない人間にも勝負師たちの身を削るような日常が見えてくる。勝負の世界は年齢など関係なくて、少年から、中年、初老の男性まで、皆、孤独な戦士だ。男たちがとてもかわいい映画だった。

“Ode to My family”, さよならDolores, RIP.

クランベリーズのボーカル、ドロレス・オリオーダンが46歳という若さと突然この世を去った。クランベリーズと言えば90年代。今から思えば私の人生が大きくカーブを切っていた頃だった。クランベリーズを聞くとあの頃を自動的に思い出す。有名なDreamsやら、Zombieも印象的だが、なかでも私はOde to My familyが一番好きだ。ドロレスの「♪トゥルトゥトゥ・・・」という声を聞くだけで切なくなって、「♪My mother, my mother she told me・・・」の頃にはすっかり遠い目になってしまう。どっぷり浸ってしまう。ドロレスのあの声を聞くと今でもあの頃の持て余したエネルギーや、もやもやとした焦燥感が蘇る。期待や不安が湖面の波のように寄せては返していた。あふれ出すことのない湖の水。あのキラキラはもう戻らない。今となっては昔の話。あれからだいぶたって念願かなってアイルランドを旅行した。直前にドロレスのソロアルバムNo Baggageを聞いて行ったことを思い出す。アイルランドの灰色の空と、シャムロックの緑の世界を旅しながら、ドロレスの声を聞いていた。ドロレスの声は強くて、切なくて、純粋で、神々しい。どこまでも伸びやかで、空を駆け巡るような歌声が、私は大好きだった。一番好きだったOde to My familyを今夜聞いて眠りたい。May she rest in peace, Dolores

野村万作・萬斎 狂言のゆうべ 文京シビックセンター大ホール

文京区在住の萬斎さんが、最初の30分、演目の説明をしてくれる。相変わらずシュッとしたキツネ顔の萬斎さんも51歳。でも若々しい。15年ほど前は萬斎さんに夢中だったことを思い出した。出し物は3つ。小舞「景清」は萬斎さん。キレのいい華やかな舞。つぎは、万作さんの「川上」。盲目になって10年ほどした男性が、霊験のある地蔵に会い山に登り、地蔵に目を治してもらう。地蔵は男に「嫁とは悪縁があるので、すぐに別れなさい。さもなければ、また盲目になるぞ」と告げる。目が見えるようになった男は喜び、杖をうち捨て山を下りる。早速嫁に会い「別れよ」と言う。嫁は怒り狂って大騒ぎ。騒いでいるうちに男の目は再び見えなくなってしまう。杖のない男は両の手を前に伸ばし空を探る。その手を嫁がさっと引き、ふたりは一緒に帰っていくという話。万作さんは今年85歳の人間国宝。動きも言葉も表情も素晴らしく深い。盲目の悲哀も、嫁へ別れを告げる冷酷さも、目が見えてもう杖など要らぬと投げる捨てる調子の良さも、再び嫁に手を引かれる弱々しさも、図々しさも。どれも濃すぎず薄すぎず。見る者の心にすーっと入り込む。なんだろう。心にどーんと来た。最後は萬斎さんの「仁王」。ばくち打ちが破産して仁王に化けて、お供えもを頂戴して稼ごうとする話。仁王に化けた萬斎さんのおどけぶりに、好きだった頃の自分を思い出した。萬斎さんはコミカルなところがいいのだ。少し感慨深くなっていると演目はすべて終わる。ちょっと食い足りないが、これくらいがちょうど良い年齢となった。まことの花とは、盛りを過ぎ、葉を落とした命が再び幼子のような純粋さに辿りつくことなのかもしれないな。

特別展 「運慶」 興福寺中金堂再建記念特別展 東京国立博物館平成館

東京国立博物館の「運慶」は予想通り混雑していた。博物館の奥にある平成館で開催中。「平成」も今年で29年。あと1年なのかと思うと感慨深い。どこの展覧会でもそうだが、入り口付近は混んでいる。まずは大日如来座像がお出迎え。運慶20歳の作品。奈良の円成寺からのお越し。蓮の上に背筋を伸ばして座る大日如来。その周りに群がる人間たち。押し分けやっと尊顔を拝むと、恥ずかしくなるくらい仏は静かに祈っておいでだ。曼荼羅の中心にある大日如来。宇宙のエネルギーはすべてここから始まっているのだろうか。弱冠20歳の運慶がこんな静謐な仏を彫るのかと愕然とした。次々と現れる仏像は今にも動き出しそうであり、永遠に沈思黙想する静けさもある。観音様や菩薩様が纏う布の滑り落ちそうな質感や、毘沙門天多聞天の武具の重量感。見ていくほどに仏の世界にぐいぐい引き込まれる。なかでも丸く張ったふくらはぎや二の腕が美しい。しなやかでたくましいのだ。今回の展示された仏像のいくつかは、CTスキャンをかけてみると、中に経典やら木札が入っていたことがわかったらしい。仏像の体内で眠る経典や木札。1000年を越えてその存在をあらわす遥か古の人々の祈り。会場を出るころにはすっかり仏の掌でもて遊ばれたような気になった。運慶らの仏像に仏が入り、その仏像を見る私に、自らの仏が目覚めたのかもしれない。天才仏師「運慶」の世界。いやはや時代は後退しているのかもしれない。