ジャコメッティ展  国立新美術館

ミュシャ展の時の長蛇の列が嘘のように、乃木坂の国立新美術館は静かだった。スイスの彫刻家ジャコメッティの回顧展を見に行った。ジャコメッティの名前は知らなかった。神経過敏で硬質な感じかと思ったら、実際は美しくて繊細な世界だった。ジャコメッティは見たままを作品にしていったら、どんどん作品が小さくなって、マッチ箱に入る極小の作品になったという。意味が分からなかった。今度は大きさを1メートル以上にしようとしたら、どんどん細くなっていったらしい。まさに研ぎ澄まされていった。余分なものがそぎ落とされて、本質だけが形になった。針金で作ったような細長い病的な佇まいは、哲学的な気分にする。日本人哲学者の矢内原伊作さんとは親交があって、彼はモデルもしていたらしい。確かに何かを考えさせる。あんなに細くても女性の像は男性には見えないし。ジャコメッティは彫刻家だが、その入り口は絵画だったらしい。音楽家がまずはピアノから入るみたいに。油絵はグレーがかった絵が多くて、彫刻と似た思索的な雰囲気がある。生涯、フランスのモンパルナスの小さなアトリエで暮らしたジャコメッティ。休息で訪れたカフェでもナプキンや新聞にクロッキーをしていた。片時も創作から離れたくなかったのだろう。入口の展示「大きな像 レオーニ」は、天井からの一筋の光が、細長い女性の身体全身に注がれていた。なんとも言えない崇高で清心な気持ちになった。作品を見ていくと何だか分からないが胸がつまった。言葉では説明できない何かがこみ上げてきた。最近は言葉が多すぎるのだ。言葉は魅力的だが、時々そこから脱け出して、ただただ感覚だけの世界に沈みたくなる。あふれる情報で、ハーメルンの笛で呼び出されたネズミや子どものように、どこかへ連れて行かれてそのまま消えてしまいそうなのかもしれない。

高野山 壇上伽藍 金剛峯寺 霊宝館 奥の院 宿坊「不動院」

司馬遼太郎の「空海の風景」を読んで高野山に来た。16歳の頃に一度来ているが記憶はない。7月初旬、曇った空は雨を我慢している。南海なんば駅から特急こうや高野山へ。橋本を越えた辺りから緑が濃くなり、鬱蒼とした緑が放つ生命感が天空の宗教都市「高野山」への気分を盛り上げる。いくつかのトンネルを越えると終点極楽橋に到着。そこからはケーブルカーで高野山駅へ。高野山駅からはバスで高野山の街へ下る。バスの乗客の半分は外国人だ。高野山金剛峯寺空海真言宗を。比叡山延暦寺最澄天台宗を開いたところ。空海最澄は合わせ鏡のように記憶していたが、司馬遼太郎の話では、密教を本格的に日本に広めたのは空海であり、最澄はその一部を広めたにすぎない。司馬さんが描くふたりの有名僧の関わりは、日曜9時のサラリーマン男性向けのドラマのようで、政治や嫉みでちょっとドロドロ。まさに泥の池から蓮が咲くだ。真言宗とは、仏の言葉「真言」を聞くこと。仏が我に入り、我が仏に入るがごとき。瞑想を介して真言を得る。顕教に対する密教。この世の宇宙の法則は人間の言葉を越えた世界。それを言葉で説明するのだから、分からないのも仕方ない。壇上伽藍の大塔は朱色が美しい。中の仏像と柱の如来はそのまま曼荼羅の世界。なにやら異空間に入った。金剛峯寺は大きい。ふすま絵と蝙龍庭の石庭の合間に、お茶とお菓子が振る舞われる。麩のおせんべいにほんのり和三盆が塗られている。お茶もやけに美味しい。寺の内部は開放されていて庫裏までのぞける。お釜に水場があって、寺の日常が今も高野山が信仰の場として現役であることを物語る。夜は宿坊で精進料理と写経。翌朝の勤行は遠慮して、早朝の奥の院へ。御陵へと続く道は大きな杉の木立に石畳。有名な偉人の墓が並ぶ。今も空海上人がおわす御廟まで行くと霊気が満ちていた。ここは真言密教の本山だもの。何かが宿っているのだ。帰りは期待せずに霊宝館に立ち寄った。ここは宝の山。巨大な曼陀羅と数々の仏像。素晴らしい。入口の阿弥陀如来の説明を、欧米由来の僧が英語でしていた。英語で聞く方が日本語の難解な言葉の羅列よりも理解しやすい。宝の山を後にして、帰りの特急「こうや」に乗る頃にはすがすがしい空気が体内に満ちていた。今ここに存在する自分と取り巻く世界の境界を限りなく曖昧にしよう。仏が入り、仏に入る。そこには誰よりも強く美しい世界があって気持ち良い水が流れている気がする。

NHK ETV特集「加藤一二三という、男ありけり」

話題の「ひふみん」こと加藤一二三九段のドキュメンタリーだ。「ひふみん」の存在を知ったのは、少し前に見たNHKの「ノーナレ」という番組だった。タイトル通りナレーションが一切ない番組で、インタビューと映像でつないでいた。その形式も良かったが、その番組で、私も「ひふみん」が好きになってしまった。今回のETV特集は、「ノーナレ」の内容に話題の最年少天才棋士藤井聡太との新しい映像などを加えての再編集ものだった。「ノーナレ」の時に見た映像がたくさんあったが、あらためて見ても感動した。ひふみん伝説も面白かったし、彼の人柄も素敵だし、ひふみんの奥様の桜の花びらの話も、ググっときた。羽生さんが「人知を超えた世界」というのも納得だ。ひふみんも今の藤井聡太四段と同じように、天才棋士として14歳から将棋の世界に入った。そして77歳。先頃ついに引退した。敬虔なクリスチャンで、教会で大きな体を丸くして祈る姿は印象的だった。神から与えられた将棋という才能を存分に生かさないといけない。神様を先回りしてはいけない。だから自分から将棋を止めることはできない。まさに神の前でこうべをたれ愚直に従う姿は信仰のあるべき姿だ。誰にも負けない純粋さがあったからこそ。負けても負けても戦い続けられたのかもしれない。東の正横綱になった人が十両まで落ちて勝負をする人はいないという。頂点を極めた人間ほど、底辺まで下れない。あの柔和な顔に勝負に生きてきた人間の「すごみ」がある。桜の花びらは散っても美しい。ぱくぱく美味しそうに鰻重を食べる姿もいとおしい。人は心持ち次第で、美しく強く生きていくことができるのだと。ひふみんに教えてもらったような気がする。ちょっと幸せな気持ちにさせる番組だった。

NHK BSプレミアム「イニョプの道」(韓国2014)

韓国ドラマは一時のように取り上げられることはなくなったが、水面下では今も根強い人気がある。韓国時代ものは特に毎度同じ宮中セットと見覚えのある俳優陣で、正直「またか」と感じることもある。それでもついつい見てしまう。韓国ドラマ恐るべし。主人公イニョプは、貴族階級「両班」で、プライドの高い娘だった。使用人の下女が戯れにイニョプの靴を履くと「けがれた」と言って同じ靴を履くことを拒み、乗って帰る輿までの数十メートルに絹布をひかせてしまう娘だ。なんだ?このいけすかない娘はと思ってしまう。いいなづけのウンギとの婚礼の日、突然イニョプの父親が謀反の罪を着せられ処刑される。娘イニョプは奴碑に格下げ、婚礼の日になんと下女になってしまう。天国から地獄へ。元婚約者ウンギは、イニョプを助けるために、下女イニョプが暮らすヒョンジョパンソ(兵曹判書)の娘ユノクと政略結婚をする。ユノクは、以前はイニョプの妹のような存在だったが、今では両班と下女の間柄、その上、夫ウンギが今もイニョプを愛していることに嫉妬し、イニョプをいびる。最初は高慢でかわいげがないと思っていたイニョプだったが、下女仲間にいじめられ、両班のユノクにいびられ、めちゃくちゃかわいそうになっていく。気がつくといつのまにかイニョプを応援してしまっている。ああ、もうダメだ、すっかり手中にはまっている。もう毎週見ないではいられない。そのうえ韓国ドラマの定番、主人公を取り巻く2人のイケメンの存在だ。今回は下男ミニョン(オ・ジホ)とウンギ(キム・ドンウク)の組み合わせがいい。「チュノ 推奴」の時の、オ・ジホとチャン・ヒョクの組み合わせと同じくらい素晴らしい。それにしても韓国の俳優さんは美しいし、演技もうまい。アップで涙をハラハラ流したり、苦痛にゆがむ表情を見せたり、少々変な設定もわざとらしさもこの演技で吹き飛んでしまう。関係ないがNHKの「精霊の守り人」が、なぜか韓国ドラマに見えてしまい、なおかつ韓国ドラマほど引き込まれないのは、なんだか悲しかった。制作費はきっとNHKの方がかけているはずなのだが。受信料返せとは誰も言わない。結局、韓国の方が圧倒的な数を作ってきているのかもしれない。ドラマ好きの韓国の視聴者を満足させてきた実力なのだろう。まあ、日本には日本のドラマの良さがある。どちらがどうではない。それぞれ自分の花を咲かせればいい。お隣の国韓国は忌み嫌う国でも溺愛する国でもどちらでもない。隣人の良いところは学び、嫌いなところは一線を引けばいいのだと思う。だが実際はそうはいかない。近しい他人ほど、なかなか冷静にはいられないものではある。

夜空はいつも最高密度の青色だ(2017)

池松壮亮が見たくて行った。ダブル主演の石橋静河は、石橋凌原田美枝子の娘なんだとか。芸能界も二世ばっかり。石橋静河はまっすぐ伸びた長い足とさびしげな小さな口元がいい。監督は石井裕也。「舟を編む」の監督。原作は若手詩人最果タヒの詩集で、詩集のタイトルがそのまま映画のタイトルだ。都会の片隅で孤独を抱える若者たちの恋愛を描いた物語。思った以上に純粋で伸びやかな映画だった。主人公池松君と一緒に働く工事現場の仲間の田中哲司。そのダメじじいぶりや、ガールズバー石橋静河の不機嫌ぶりから、最初はもうちょっとダークな映画かと思っていたが、至極ストレートな映画。舞台は渋谷、新宿。池松壮亮は期待通りのナイーブな青年役。朝起きて窓を開けると石橋静河のマンションの外で池松壮亮が一晩中待っている。あのつぶらな瞳がいやあ~ん。映画館の観客は4分の3が女性だった。なるほど。池松君人気ある。映画はまあまあ。あとで映画サイトに寄せられた映画評を読んだ。確かにディテールは緩い。NYへ逃げる彼女の下着姿も時代錯誤だし、やたら多弁になる池松壮亮のキャラもストーリーにあんまり絡まないし、貧乏なわりに部屋は広いし。しかし、だからといってダメでもない。ベタだがちょっといとおしい。いつの時代も都会は人々を飲み込むし、若者を惑わすし、矛盾をおしつけてくる。絶望と希望がないまぜだけど、悲惨な絶望も一握りの希望があれば跳ぶことができる。うん。きっととべるはずだ。がんばれーえー♪

日テレ「フランケシュタインの恋」

♪ボクは人間じゃないんです・・・ほんとうにごめんなさい~。ドラマよりもこの曲が好きだ。お話は120歳のフランケンシュタイン綾野剛がきのこの胞子をまき散らしながら、きのこ好きの大学院生二階堂ふみと恋をする話だ。二階堂ふみは「woman」の印象が強すぎて、かわいい役を演じると、ちょっと落ちつかない。虫も殺さぬ心優しい女子大生を演じるより、眼光鋭いエキセントリックな役の方が私は好きだ。そんな津軽さん(二階堂ふみ)に恋するのが先輩役の柳楽優弥山田孝之系の濃い顔で、大河ドラマにも出ているので、日曜日は柳楽優弥ナイト。そんな柳楽君に恋しているのが、あっさり顔の川栄李奈。ヤンキー系の美少女の川栄が「ふざけんじゃねーよ」と吠えるたびに、「ああかわいい」と思ってしまう。高橋メアリージェーンとともに、ヤンキー国ジャパンにはなくてはならない女優さんだと思う。あとは「天草に聞け!?」の新井浩文と「あさが来た」の番頭さんだった山内圭哉。このふたりの存在がメルヘンチックなお話に不穏な空気を注入して、メルヘンなお話をかろうじてリアルにしてくれる。ドラマはまあまあ。主役の綾野剛が下手すぎる。斎藤工は苦手だ。そんなこともあってイマイチ乗り切れないまま最終回へ。結局、一番好きなのはテーマ曲かも。♪ボクは人間じゃないんです・・・。手に入れた幸せは忘れるわ、自分のことは棚にあげるわ、ボクは一体誰ですか~♪。そのとおりだ。偉っそうに、あーだこーだ言っているけど、自分がどんな顔しているかも分からないくせに。謝らなきゃいけないのは、この私だ。「♪ほんとにごめんなさい~」。文句ばかり言ってないで、黙ってやることやれ!そうだそうだとどこからかそんな声が聞こえる。

土曜時代ドラマ  「みおつくし料理帖」

土曜時代ドラマ?時代劇とは違うのか?という疑問はさておき、有名な俳優さんがわんちゃか出ている時代ものだ。土曜総合夕方6時ってこんなに豪華だっけ。主演は黒木華。脚本は藤本有紀。もう見ないわけにはいかない。あれれ、なんと森本未来に永山絢斗も出ている~。小日向文世、安田成美、麻生祐未、ええええ、こんなに出てんの?てな具合。天下のNHK様、時代物最強。さてお話は江戸時代。みなしごの澪(みお)黒木華が、料理の腕で江戸の料理人として成長して生きていくというお話。けなげな娘役の黒木華。澪の才能を見込んで料理人に育て上げたのが天満一兆庵の主人が国広富之、その妻が安田成美。国広富之は既にお亡くなり、今は病弱な安田成美とふたり暮らす黒木華。安田成美って今もかわいくてキレイ~。風の谷ナウシカ~♪ 希望のアラフィフ。無愛想でごつごつした森本未来は色っぽい。男前だけどウジウジした不器用な役が似合う永山絢斗瑛太にはない純粋で猥雑で、これまた色っぽい。それで黒木華が毎週毎週、美味しい料理を作り、その料理のうまいこと、うまいこと・・・・、というストーリーだ。しかし、若干の既視感がある。黒木華の健気な姿にだ。見過ぎた私が悪いのだが。なんだか物足りない。平凡な日常みたいにつまらないのだ。その平凡さに「幸せ」はあるのだけど。刺激が足らない。パンチが欲しい。もちょっとはじけて欲しいと願ってしまう。と思っていたら、なななんと、ホームページに、「松尾スズキ」が出ると書いてある。えええええええ。ちかえもんの登場~?もうドキドキして眠れない。さすが藤本有紀。恐れ入りました。さて、番組のエンディングに料理コーナーがある。今どきキッチンで「澪」の衣装を来た黒木華ちゃんがレシピを紹介する。最近のはやりのおまけ情報コーナー。「家政婦のミタゾノ」のワンポント家事や、テレ東「釣りバカ日誌」の魚レシピと同じだ。しかしなんか違和感がある。キッチンが明るすぎて衣装が汚く見えるからか・・・。なんか残念。