松本清張「ゼロの焦点」新潮文豪(唱和46年初版)

引き込まれたくて松本清張。「ゼロの焦点」も初めて読んだ。期待通り面白くて大満足。昭和の香りで育った身としては松本清張はホームのようなもの。懐かしき時代の風景を思い出しながら読み進め、じんわり郷愁に浸る。昭和の半ば、貧しさから脱却して上を目指し始めた我が国、その成長の過程にはさまざまな歪みがあり、そこにドラマの種は眠っていた。幼少の私はお客さん用に出される濃いカルピスに憧れ、三ツ矢サイダーの栓が開けられると大騒ぎしたものだった。いい事ばかりじゃないはずなのに、思い出すのは良いことばかり。過去はどんどん美化されていく。戦後のドサクサ時期は、多くの秩序が破壊されてガラガラポン。昨日までのお嬢様が売春婦として稼がねばならない事情もあったらしい。美化出来ない過去は葬りさりたい。それを知る人間は抹殺したい。たとえ絶対口を割らないと約束してくれても。現在の生活が華やかなほど、過去の黒歴史を知る存在は疎ましくなる。心に潜む闇を描く本書は推理の面白さもさることながら、人間の本質を鮮やかに見せてくる。いくつになっても私たちは愚かなことをするのである。