陳舜臣「中国名言集 弥縫録」中公文庫(1986年初版)

最近、中国に興味がある。中国名言集とあるので読もうと思った。陳舜臣さんは神戸生まれで台湾の方だったらしい。タイトルの「弥縫(びほう)」という言葉は全然知らなかったし、読めなかった。難しい言葉も多いが、「五里霧中」「酒は百薬の長」など馴染みの言葉も多い。中国の歴史は日本の歴史以上に疎いのだが、語りが面白いので、ずんずん読める。ちょっとしたネタの宝庫なので、ちゃんと覚えていられたなら、宴席で知ったかぶりもできそうだ。ただ今は宴席がない。全世界的な在宅生活の到来。未知のウイルスに翻弄された私たちはいつどこに着地するのだろう。誰にも答えは出ない。どんなこともいつか終わりが来るはずだから、要らぬ心配などしなければいいのだが。ウイルスが終わる前に自分が終わるかもしれない。だからいつ訪れてもおかしくない最後を、いわゆる「有終の美」で飾りたい。この本の最後の言葉だ。「有終の美」の秘訣は「謙」にあるという。そういえば、「謙虚」は今年のテーマだった。この騒ぎで忘れかけていたが、今一度、胸に刻もう。おごり高ぶることなく、低い姿勢で見渡せば石につまづくこともない。恵まれた日常をありがたく思い。大切な人に感謝を伝えよう。うっかり感染してそのままさよならかもしれないし。二度と会えなくなるのなら、もっと優しくしておけばよかった。ユーミンもそういっていた。中国3千年の歴史の中で生まれた名言の数々、人類はいつかコロナをすっかり乗り越えてしまうことを感じさせてくれた。ただ、今の私たちにはまだそのゴールは見えていないけどね。

藤沢周平「闇の穴」新潮文庫(昭和60年初版)

通勤で読んでいたが、今はお風呂で読んでいる。困ったときの藤沢周平。馴染みの居酒屋のように、安心して楽しめる。短編集で今回はちょっと薄幸な話や、民話的な話が入っている。海坂藩モノとは違う味わいがある。変わらず市井の人々の感情を細やかに描いていて、こうした災厄の時期にあって、不自由な思いを感じる日々には一層しっとり心にしみる。女性目線の話があった。「闇の穴」「夜が軋む」だ。女心の細やかなうつろい具合が素晴らしい。でも同時に藤沢周平という人は怖い人だなあと思ってしまう。心を読まれて裸にされてしまうのが怖いのだ。わかってほしいという気持ちもあるが、ばれてしまう方が怖いという気持ちがいつも少しまさる。心のガードをあげて守っている。自分の孤城に閉じこもってしまう性癖があるのだが、まさに今の現実はそういう状態だ。不思議な感覚。誰とも接触せずひとりでいること。今はこれが良しとされるわけだ。疫病蔓延の2020年。今後どうなるかはわからないが、新たな時代の始まりだと思う。

柳宗悦「手仕事の日本」岩波文庫(1985年初版)

民芸の柳宗悦の日本の手仕事の本。昭和10年頃の日本の手仕事の状況を記している。北から南へ丁寧に辛辣に綴られている。芹沢銈介さんの挿し絵もあって分かりやすく楽しい。あれから90年ほど過ぎたわけだ。この中のどれくらいの手仕事が消えていってしまったんだろう。効率が優先されて、時間や手間を要する手仕事が継承されなかったのも仕方がなかったのかもしれない。近代から現代へ、いろんなしがらみや不条理が消えたと思ったら、また別のゆがみや憎しみが生まれていた。合理的で平等で豊かな社会を目指していたはずだが、気がつけば、世知辛くて無責任で格差が広がった社会の中にいる。なんらかの天命ではないかと思うほど、世界は新型コロナウイルスで翻弄されている。今までにない世界の始まり。やがてくる新しい世界では私たちは失った何かを再び手に入れるやもしれない。だが、その前に自らが消えているかもしれない。大きく何かが変わろうとしている今、手のひらをみつめて、問いかけてみる。何ができるのだろうと。この手でできることに今は愛情をもちたいと思う。もうそれくらいしかない気がする。

NHK夜ドラ「伝説のおかあさん」

前田敦子のドラマが久しぶりにいい。キュートQ10以来かも。ママになった前田敦子RPGの世界で働くママの魔法使いになって魔王を倒しに行くという話。今どきのママが抱えるいろんな問題が面白おかしく描かれている。前田敦子のお母さん役がかわいい。子どもを抱いている姿がしっくり来る。キュートのロボット役も良かったし、そもそもまんまるお目めが真ん中に寄った彼女の顔はキャラ顔なんだよね。アニメ顔。コミカルな方が良さが引き立つのかも。それにしても働くこと、子ども育てること、母として、父として、ちゃんと生きること、今は全部大変だなあ。もう選択肢がなくなったので何だって言えるけど。そもそも人類は子孫を残すという生物の本能を失いつつあるのかなあ。社会は子どもを生み育てることをこんなに高コストにしちゃったし。働くこと、お金を稼ぐことは大事だが、ママが子どもを生み育てることよりもしたいことが一杯あるんだから仕方ないのかあ。いつからこうなっちゃったんだろうね。自分がこんなに駄目になっちゃったことだって分かんないのに、人類のことなんかわかるわけないか。今日も皆が幸せでありますように。ただ祈るしかない。

37セカンズ(2019)

NHKのBS でやっていた同名のドラマを見た。良かったので映画も見に行った。テレビ版を見なければもっと感動したかな。映画は車椅子の女性が母親から自立成長していく話。主演の佳山明はオーディションで選ばれた新人。ご本人も車椅子生活らしくリアリティーがあった。映画は、後半にテレビ版にはない展開があった。オールアバウトマイマザーを思い出した。母の自立の話でもあったんだね。それにしてもタイまで介護士の彼と一緒に行くくだりは、テレビ版を見ているとスムーズだけど映画だけ見ていると強引な感じかするのではと思った。最後に美人編集者板谷由夏にまた会うところもどうかなあと思った。だが、それでもなかなか良い映画だと思う。渡辺真起子がもっとみたか。彼女のカッコ良さがこの映画を見たいと思った原動力だったから。まあ尾美としのりに会えただけでいいか。相変わらず上手いな。

リサ・ラーソン展 銀座松屋

コロナウイルスで自粛モードの中、銀座松屋の会場は盛況だった。展示よりも何よりもグッズ売り場がだ。展示スペース並みに広い売り場で、ところ狭しとリサ・ラーソンのキャラクターグッズが販売されている。展示の最後にリサラーソンのビデオレターが3分流れていた。「もっと若かったら日本語を習う」とか、親日ぶりをアピールしていた理由はこれかと、ちょっと笑った。こんなにみんなが買ったらニコニコするはずだ。チケットにも載っている丸いライオン。意外に大きい。お尻も丸い。かわいい。小さな手ひねりの鳥やら猫、犬、やっぱりかわいい。抽象作品も彼女独特の線と点の使い方、色合い、厚みがいい。素朴な造形が粗雑に見えないセンスの良さというか、やっぱり私もリサが好きだ。スウェーデンにも行ってみたい。ビデオでリサが、古い服を手にしながら、モノを大切にしたいと言っていた。安いモノを使ってどんどん捨てる暮らしももう飽きたな。自分も捨てられるくらい、古びてきたからかもしれない。いきおい、「日々の暮らしを愛する」とか言ってしまいそうになる。愛する対象に飢えている。愛の応用範囲が広い。とりあえず、買ったリサ・ラーソンの布地で何か作ってみよう。手仕事は愛をう作り出す。

白洲正子「日本のたくみ」新潮文庫(初版1984年)

白洲正子が日本の工芸品作家を訪ねるエッセー。彼女の審美眼の高さは言うまでもない。驚いたのは、彼女でさえも職人さんたちに取材するのは困難だったということだ。美貌とお金。好奇心と行動力。元華族のお嬢様でも駄目は駄目というのが、ちょっと嬉しい。職人の一途というか、世俗から距離を置く人間たちの矜持というか。俗にまみれているとあこがれる。かなり古い本なのだが、登場する人の何人かは今もご存命。私でも知っている有名人もいる。さすが。工芸品がいいのは暮らしに取り込めるから。生活とは縁遠いところで輝くものもあるが、杓子や器、着物、砥石など、日常にあるのが嬉しい。男の人は収集したいらしいが、女の人は使いたいらしい。男女差は面白い。先日、亡母の鏡台からつげの櫛を持ってきた。使ってみると静電気は起こりにくいし、髪はさらさら。プラスチックのブラシは捨てた。忘れていたものが自分に帰ってきたようだ。大切にしなきゃいけないものを思い出せて良かった。色々私たちは見失っているからね。