ヘミングウェイ短編集(一)大久保康夫訳 新潮文庫(昭和45年初版)

ヘミングウェイは大学の英語の授業で読んだことがある。当時、田舎の大学へ神戸から通っていた美人の先生は、ヘミングウェイなら、私たちでも読めると踏んだのだろう。「インディアン部落」はそのとき読んだ記憶がある。「キリマンジャロの雪」は、アフリカへ行く前に読んだ。本物のキリマンジャロを見る前に、未知の大陸への情報をひとつでも欲しいと思ったのだ。初めて行った海外旅行はアメリカで、キーウエストのヘミングウェイのお家にも行った。猫が一杯いて、お土産に猫のトレーナーを母に買った。ヘミングウェイにはいろいろと思い出があるのだ。甘い感傷を抱いて読んだせいか、ヘミングウェイは良かった。彼の文体は、男っぽい息づかいと、女々しくて繊細な男心がごちゃまぜになっている。話に登場してくる人はどこか崩れているし、何か欠けていたりして、物哀しい。だが、決して弱くはない。駄目なのに堂々としている。映画「ノマドランド」を見たときにも感じた何かが思い出される。これぞアメリカなのかしらん。コロナは収束を迎えることなく1年半が過ぎ、あと1年位はどこにも行けないような気がしてきた。絶望というより、クールダウンにはそれくらいかかるのだろうと思っている。世界も、日本も、個人も、経済的にも、地球環境的にも、倫理的にも、何か見直し転換すべき時期に必要な時間なのかもしれない。ヘミングウェイはそんな時には、程よく考えさせてくれて良かったなと思う。