「星野道夫 悠久の時を旅する」東京都写真美術館

星野道夫さんの写真展を東京都写真美術館に見に行った。会期終了が近いからか館内は老若男女がひしめいて大変混んでいた。亡くなってだいぶ経つのに、今も人気は衰え知らず。何がそんなに人々を引き付けるのだろう。「旅をする木」を読んだのは、1996年頃だから、もう星野道夫さんは亡くなっていた。旅人が置いていった本を偶然手にとって読んだ。さわやかだけど、ちょっと淋しげな印象を持ったことを覚えている。当時は日本経済が強くて、勢いに溢れていた時代だった。星野さんもイケイケの国から、何か違うものを求めてアラスカに向かっていったのだろう。ブッシュパイロットの友人の写真に、「空軍のエリートパイロットだった彼が、辺境のブッシュパイロットになった。何かを下りた人が持つ、独特の優しさがあった」と言うくだり、星野さん自身も何かから下りた人だったのかもしれない。皆が憧れる第一線でバリバリ働くことや、キラキラ輝く世界に身を置いたりが、どうしてもできない人がいる。否定しているのではなく、そこに向かえない。何かになりたくないし、なれもしない、ただそれだけ。逃げているのかもしれないが、そういう生き方しか出来ない人もたくさんいる。星野道夫さんの写真は大きくひいた写真がいい。大きな山や空、氷河に対して、豆粒にしかならない存在、そんな写真が大好きだ。広大な氷原を一匹で歩くホッキョクグマと私たちは同じだなあ。そんな風に思って見ていた。今年は旅に出ようと強く思った。