石井妙子「女帝 小池百合子」文芸春秋(2020年4月)

話題の本を読んだ。小池さんは怖い人だと思っていたが、本当にそうだったのだなあと。これから4年もこの人を都知事として頂いて暮らしていく東京都民として、残念な気持ちになった。この本は小池さんのカイロ大学主席卒業という学歴詐称の話である。この嘘をなぜついたか、この嘘から始まって彼女がどういう風にして政治の階段を登って都知事2期目に入ったかを示した本である。石井妙子さんの文章は歯切れよく読みやすい。筆者の憤りが静かにひたひたと読み手に伝わった。思えば、おじさん受けのよさそうな美人さんが、細川護熙さんの横に立っていたなあというのが私の最初の印象だった。その後、話題になる政治家の横にいつもいたね。小沢さん、小泉さんと。私が小池さんが信用できないなあと強く感じたのは、都民ファーストの会をあっさり辞めたときだった。あんまりじゃない。そう思った。それからはずっと疑心暗鬼が消えず、今回の都知事選再選でまた暗い気持ちになった。世界中のリーダーの劣化が進む中、女性リーダーの中には、魅力的な人がまだいる。台湾の蔡英文さんとか、ドイツのメルケル首相とか、NZのアーダーン首相など。そんな時代に私達には小池さんである。残念さもひとしお。この本を読んで、ニュースに登場する小池さんを見ると一層げんなりするので、この本はある意味おすすめできない。しかし、どこにも行けない夏休み。百合子の物語を読んで、いろいろ反省するのもいい機会かもしれない。

浅野秀剛「浮世絵は語る」講談社現代新書(2010年)

浮世絵の考証の話だった。最初はどこに連れていかれるのやらと思って読み進めていたが、読み終えると浮世絵の楽しみ方が広がった気がした。いつ、どこで、誰を描いた作品かを考えることは、言われてみれば当たり前だが、当たり前を想像することもなく今まで生きてきてしまった。残念。本書は浮世絵の本だけあって、挿絵がたくさんあるが、それでも、もっと絵があればわかりやすいのにと思うところが多々あった。諸事情でこれだけのボリュームになっているのだろう。言葉だけで理解できない自分がこれまた残念。それでも作者の熱意のおかげで、浮世絵考証の面白さ、難しさが垣間見えた。美人画、役者絵、名所図と考証には違いがある。きもの、髷、紋、印、版元、歌舞伎の演目など、さまざまな要素が絡み合って一枚の絵の年代は確定してくる。気のせいだが、漫然と絵を眺めていた時分とは格段に見る目ができた気がする。しかし、200年も前に描かれた江戸の浮世絵。絵師たちの魂が時間を越えて今の私たちの眼前に浮かびあがってくる。コロナで運よく生き延びたら歌舞伎も浮世絵も存分に見にいきたい。ソーシャルディスタンスとかそのうち笑い話になるといいね。人生も夕暮れ時、命が暮れてしまう前に、走り抜けないとね。死神に追いつかれてしまう。

丸谷才一「大きなお世話」文春文庫(1978年)

丸谷才一のエッセイ集。1970年前後に「アサヒグラフ」に掲載されたものを集めたもの。今からもう50年前のエッセイで、社会時評風なのでどうかなあと思ったが、時代変われど嘆きは同じ。丸谷才一の巧みな語りで面白く読んだ。当時の佐藤内閣のお粗末さを嘆く作者に、「今の方がもっとひどい」と言いたい。丸谷才一はすでに故人だが、超一流の教養人だった。深い教養に裏打ちされた話は素人にも面白い。何より分かりやすく、文章がうまいので私のような読解力に欠ける人間にもするすると入ってくる。本物の力とはこういうことなのだろう。反知性主義といわれる今、全身が知的なものを欲している。幸い、コロナのおかげで読書の時間も増えた。知識を深めていくと新しい世界が広がる。物理的にはほぼ軟禁生活の今こそ、知的な海で思い切り泳ぐ時かもしれないね。もう人生の時間はそんなに残ってないから、もっと楽しいことしないとね。ぼんやり怒ってばかりじゃつまらない。

井伏鱒二「黒い雨」(新潮文庫

映画「黒い雨」は確かスーちゃんが矢須子を演じていた。白い肌に黒い雨が印象的な映像で、あのシーンだけ今も思い出す。小説は広島の原爆投下から数年たった頃、叔父の重松が姪の矢須子の縁談がうまくいかないことを不憫に思っているところから始まる。重松が自らの体験を綴った被爆日記を清書しながら、原爆投下前後の広島を市井の人の目線で描いている。戦後75年。戦争知らない子どもたちばかりになった今、瞬時に火の海になった広島を想像するのは難しい。閃光を浴びた当時の人々は瞬時に死んでいった。一命を取り留めた人も追いかけるように死んでいった。助けに行った人も死んだ。看病した人も死んだ。どんどん死んだ。皆、それが何かであるかも知らないまま死んだ。姪の矢須子は被爆を免れたのに黒い雨を浴びたおかげで、被爆した重松よりも重症だ。ああかわいそうに。小説はあの頃の人々がただ暮らして行く姿を描く。大袈裟なことは何も言わず、いくぶんゆったりとした感じで日常を語る。大切なことは声高に語ってはいけない。今、コロナ禍で世界中で人が死んでいく。くらべものにはならないが、私たちも世界の全容を知ることはない。溢れる情報に溺れながら自分が死ぬ理由もわからないまま、さようなら。そうなっても何の不思議もないのだね。

宮部みゆき責任編集 松本清張傑作短篇コレクション下 文春文庫(初版2004年)

三冊シリーズの最終巻。読後感は一番重厚だった。やや長めの「生けるパスカル」。悪妻を持つ絵描きが妻を殺す話。悪妻ゆえに芸術性が高まるか。確かに不幸とアートは仲がいい。些細なことから破綻が始まり、クライマックスはあっという間にフィニッシュ。余韻はグダグダ書き連ねないから生まれる。いたたまれない気持ちのまま終わる作品も多い。「帝銀事件」の話や「鴉」は、漆黒の闇をのぞいてしまったような気持ちになった。作品を通じて流れる、低くて暗い昭和ムード。低い音がどーんと身体に響き渡ってしばらく滞留する感じだ。ずっしりとした骨太のものが今は欲しいのかもしれない。「西郷札」は明治維新の時代、西郷隆盛らが資金調達のために作った札を巡る話。腹違いの兄妹の思慕を嫉妬した明治のエリート。義理の兄を巧妙に陥れる男とそれを知ってもどうすることも出来ない貧しい出の妹。最後はどうなったのか想像を残して終わる。物事の正義は私のような浅薄な者にはよくわからない。ただ大きな権力が覆い隠す真実が、わずかでも漏れ聞こえてくるとげんなりする。どうせ騙してくれるなら死ぬまで騙して欲しかった。コロナで暇を持て余していると不都合な真実が目に付く。ツイッターと文春がなければ、永遠に知ることもなかったというのも、何だかなあと思う。私たちの暮らす世界はすっかり手垢がついて随分と汚れたものになってしまった。消毒してキレイにして、病の種をたちきりたいな。新しい生活様式、今はそういう時期にきているのかもしれない。

宮部みゆき責任編集 松本清張傑作短篇コレクション中 文春文庫(2004年初版)

宮部みゆき御推薦の松本清張の短篇集の2冊目。前半は悲しい女の話、後半は訳あり男の話。まさに私が思う松本清張の王道。加齢のおかげで世の中の悲哀が多少はわかるようになった。お姉ちゃんの旦那さんを愛してしまう妹の没落とか、騙されてひっそり死んでしまう療養所住まいの女や。今では信じられない話だが、30歳を超えた女性が「行かず後家」と言われ、居場所がないなかでも地味に真面目に生きる話とか。薄幸だからといって他人を貶めるようなことをするとは限らない。宮部みゆきの言葉通り、松本清張の目線は冷徹だが、弱者への目は暖かい。後半の男性シリーズは一転して男性の愚かさや女々しさが存分に描かれていて面白い。結局、男も女も人間、欲望を抱えながらただ安穏な生活を求めているだけ。生きることはキレイごとだけではすまされない。動物は大好きだけど、焼き肉も大好物~という事と同じなのかもしれない。コロナウイルスのおかげで世の中はガラガラポンの混沌の海。前の暮らしに戻れない。戻らなくていいのだ。苦しんでいる人もいるが、喜んでいる人も少なからずいる。新しい世界、どうなるかわからないからこそ、座れる椅子が増えてきた?サバイバルしていく力を今は試されているのかもしれないね。

宮部みゆき責任編集 松本清張傑作短編コレクション上 文春文庫(2004年初版)

昭和の巨匠松本清張を読みだしたら、BSで松本清張のドラマが始まった。偶然というよりも、読んでいるから目に留まったのかもね。宮部みゆきが選んだ短編作品が上中下の3巻にまとめられている。宮部みゆきの前口上が効いていて、清張を知らない読者も巧みに誘ってくれる。その1巻目。初期の作品『或る「小倉日記」伝』は芥川賞を受賞してたんだね。森鴎外の小倉滞在時の話で、松本清張の原液みたいな濃厚な味わいがあった。ノンフィクションとしての作品として、昭和史発掘・二二六事件、追放とレッドパージが選ばれている。私には読み応えがありすぎた。政府や軍部によってキレイに隠された話を細やかに冷静に暴き描いていく。表面に出ている事実はホンの一部なのは今も昔も同じだが、今、こうやって詳らかにしてくれる人はいるのかなあと思う。どの作品にも流れる昭和の空気。高度経済成長の日本の中でこぼれ落ちてきたものに対する清張の視線を感じる。カッコいいし、胸に迫る。世間のレールから外れ落ちていくのは自分のせいでもある。でも自分だけのせいではない。世界が変わりつつある今、上っ面に流されないように。深層を見つめていかねばね。今、松本清張と出会うのも何かの誘いかもしれない。そう思って上巻が終わった。