梅原猛「哲学する心」講談社文庫(昭和43年初版)

古い本を引っ張り出した。50年ほど前に発表された文章をまとめている。梅原さんが亡くなったのは2019年。今の状況をご覧になったらどんなことを言われるだろう。40台の梅原猛の文章は熱い。哲学という、とっつきにくい世界にあたたかい血を巡らせてくれたような印象。笑いや遊びなどの日常的な事柄から始まって、仏教、日本文化、古代史へと語る言葉は、50年の時代を経ても読む者の心に響く。あふれる知的好奇心と情熱があったから、93歳まで生きられたのかもしれない。戦中派として、青春時代を戦時下でおくった彼は「死ぬ」ことが約束されていた。終戦を迎えて、生き残った自分を抱えて生きた。生死をくぐり抜けた者が持つ凄みかな。「怒りの文明と慈悲の文明」が特に心に残った。西洋と東洋の比較だが、キリストの磔された血なまぐさい姿を見て、人々は復讐を誓い、戦いが始まる。それに対して東洋の仏の姿は涅槃の世界。穏やかな顔でどこまでも慈しみが大事だと説く。コロナが長期化して、もう以前に戻れなくなった私たち。それぞれが新しい人生を否応なく歩みだしている。これからの旅に必要なものを今、選びなおしている時期かもしれない。どこまで慈しみを持てるだろうか。執着を捨てられるだろうか。今、見つめる時間をたっぷりある。

 

 

池波正太郎「剣局商売 辻斬り」新潮文庫(昭和60年初版)

剣客商売シリーズの第二弾。前回より昔の作品だ。主役の秋山小兵衛も60歳くらいの設定。40歳年下のお嫁さんとのやり取りも艶っぽくて60歳の男性の生臭さがうかがえる。私の読んでいるものが平成11年の44版のもの、多くの人に読まれたんだね。仕事帰りの中高年の男性が電車の中で読んでいたのだろうか。心地よいリズムの文章、季節の移ろいや江戸の景色が疲れた心と体にスーッと入っていく。60歳なのに最強の剣客だし、旨い酒肴に舌鼓をうち、金払いはいいし、若い嫁にも愛されているし。まさに理想の晩年。疲れた中高年サラリーマンじゃなくても至福。エンターテイメントの極みだね。この本が出た頃はバブルの時代。今のしぼんだ日本からは想像しがたい膨らんだ風船のような時代だった。あれから我が国は、ずずずずと横にずれて崩れてきて、今に至ったような感がある。何がいけなかったのかと反省もするが、悪いことばかりではなかったはずだと開き直る。手元に残ったものを見つめながら、誰とも交わらないコロナの夜に剣客シリーズ。外は冷え切った冬の雨だが、心にぽっと灯がともる。明日は晴れるといい。そう思う。

 

池波正太郎「剣客商売 暗殺者」新潮文庫(平成8年初版)

時代小説は私にとっては和菓子のようなもので、大人になってから好きになった。ここ最近は特に楽しみになった。科学モノの次は池波正太郎剣客商売シリーズの14弾の長編だ。主役の秋山小兵衛が66歳。剣客とはいえ年齢相応の老いものぞくお年頃。今回は暗殺者が息子大治郎を狙っているという話。平成10年ごろのテレビ版では、藤田まことが小兵衛。息子は渡部篤郎だったらしい。私のイメージとはちょっと違う。主人公秋山小兵衛は孫ほど年の離れた嫁をもらって今は悠々自適な隠居生活。定年間際の男性が仕事帰りに電車の中で読むには最適な本かもしれないね。この本が単行本で出たのが昭和60年。今から35年前には悠々自適な定年後の生活も可能だったかもしれない。だが、これからはそれができる人は少数派になりそうだね。時代が変われば価値観も変わる。それでも変わらぬものが時代小説にはあるのだろう。時代劇がテレビから消えてきた今も小説の世界では変わらぬ人気がある。どこにも行けないのなら鎖国の今、日本を堪能するのも悪くない。いや、前向きに楽しもう。和菓子も時代小説も。

福岡伸一「生物と無生物のあいだ」講談社現代新書(2007年)

ウイルス蔓延の今、これを読むには良いタイミングかなと。読んでみたらびっくりするくらい面白い。分子生物学と聞いただけでアレルギー反応をしていた自分が恥ずかしい。しかしこんなに文章が上手な生物学者なんてそういない。だいたいは眠くなって挫折してしまうのだから。この本は例示が素晴らしい。DNAやら動的平衡やらも今まで少しも頭に入らなかったことが、するするとおさまっていく。飽きない程度に話の矛先を生物以外にふってくれるのもいい。おかげで最後までスピードを落とさずに読めた。話は、作者が若き研究者としてニューヨークに渡ったとことから始まって、野口英雄の残念な話、実はDNAを見つけていた人、砂上の楼閣など、多彩なエピソードを絡めながら、生命の核心へと近づいていく。PCRについても書かれていて、検査を増やせ云々と知ったかぶりで話していた自分がこれまた恥ずかしい。知れば知るぼど、自分の無知を知る。誰とも会わないおうち時間が増えて、本ばかり読んでいる。本嫌いでもこんなに読めるようになるし。生物嫌いがこんなに感動するし。まだまだ世の中はわからない。どこまで私の生命が破壊と秩序を繰り返してくれるかわからない。ただ冬の木立を飛ぶ鳥たちの声が、今までは気にも留めたことがなかったのに、最近はよく聞こえる。命の終わりは小鳥が知らせに来てくれると、昔誰かが言っていた。戯言だろうが、冬の空を遠くに眺めながら、今日も小鳥を探してしまう。

赤瀬川原平「千利休 無言の前衛」岩波新書(1990年初版)

路上観察」や「老人力」の言葉で知ってはいたが、赤瀬川原平さんの本は読んだことがなかった。最初、なぜ千利休なんだろうと思った。今から30年ほど前の映画「千利休」の脚本を彼が書いていたと知り驚いた。草月流の家元勅使川原宏監督のこの映画を公開当時に見てビビッと来た覚えがある。咲き乱れる朝顔をすべて切り落とし、たった1輪だけを茶室に飾ったシーンは今も目に浮かぶ。あの映画の脚本を書いていたのが赤瀬川原平さんだったとは。本書は千利休と前衛が語られている。前衛は時代のひとつ先を切り込む刀のような存在であり、千利休がまさにそうだ。利休は堺の魚問屋の商人でもあった。当時の堺は栄えた港町だった。今は港に放置されている大きな石だけが茶室の存在を語るだけになったとか。当時の堺には大河ドラマでは表現できないムードや熱気があったのだろう。それがすっかり消滅していることも、ある意味、利休によって全部切られた朝顔のような潔さを感じる。利休の沈黙の世界と秀吉の饒舌な世界との交錯。それこそ茶室で繰り広げられる一期一会の戦いだったのだろう。本書は、そんな利休の前衛性を、路上観察トマソン物件や、極小世界ディテールへの日本人のこだわり、ドイツと日本の世界2大貧乏性の話などの、全く違う話を重ねて語っていく。話の矛先が多岐にわたり、一体どこに連れていかれるのかと思っていると、最後にはパシッと利休に帰る。唸ってしまうほど、かっこいいしめ方。赤瀬川さんの本物の前衛ぶりにしびれた。もっとしびれさせてほしいが、もう空の上。みんな先に行ってしまう。悲しいよ。

アンソニー・ホロビッツ「その裁きは死」(創元推理文庫2020年)

年末年始のお楽しみはミステリー。「このミステリーがすごい」などミステリーランキング全制覇1位と帯にある。むむむ。久しぶりのミステリーなので、はずしたくない気持ちが勝って購入。本格的な推理モノで大満足。最後の最後ですべてのピースがしっかりはまって、気持ちが良い。年明け幸先よくミステリーの醍醐味を堪能した。シャーロックホームズとワトソンのコンビのような、ホーソーンとトニー。作家アンソニーホロビッツ自身が作品に作家として登場して話を展開するのも新しい。ロンドンに行ったことがないのが残念たが、ロンドンを知る人なら、通りや場所の名前から雰囲気がわかって楽しめるだろう。世界中が国を開くのはまだ当分先になりそうだが、次回の旅はロンドンも候補に入れておこう。海外旅行などまだまだ手が届かない世界だと悲観しても仕方ない。明るい明日を夢みて。明日はきっといい日になる。高橋優が歌っていたしね。

NHK朝ドラ「おちょやん」

コロナで最近やっと始まった秋の朝ドラ「おちょやん」。こてこての関西弁を使うすごい子役に圧倒されて始まった。その台詞の滑らかなこと滑らかなこと圧巻だった。そんな子役の2週間が終わると今度は、本当の主役の杉咲花が登場。これがまたすごいので感動している。関西弁の巧みさもさることながら、コミカルな演技とじわっとくる情感を巧みに演じ切っている。いやぁお見事。ファニーフェイスってのもいいのかもしれない。「わろてんか」みたいなお話だけどこれなら最後まで行けそう。先週から私の好きな若村麻由美も登場。相変わらず美しくて攻撃的。怒っている顔が特に素敵。杉咲花ちゃんとの競演が楽しみだ。コロナ禍で収録も大変だろうが中断なく見られるといいな。ニュースもバラエティー大本営っぽいから。ドラマくらいは、忘れちゃいけない大切なことをちゃんと語ってほしいな。今は特にそう思う。