目の不自由な人の手引きをしたことがある。見えにくい友だちもいる。だが、見えないということがどんな感じなのかはいまもよくわからない。この映画は南京のマッサージ院に集まる盲人たちの世界を描いている。失った視力が戻らないと知った少年シャオマーが自殺を図る。この映画は血が噴き出すシーンから始まった。青年になったシャオマーは南京のマッサージ院で働きだす。むせるようなフェロモンを放つシャオマー。寮の二段ベッドが並ぶ部屋で、女性に襲いかかろうとする。部屋にいる同僚たちは皆、盲人。気配は感じていても何も見えていない。微妙な息づかいと蠢く男女を、スクリーンの前の自分だけが覗いている気分になる。見えなくて不便なことも多いが、見えないからこそ研ぎ澄まされる感覚もあるのだろう。見えることで失ってしまった感覚もある。視覚が持つ膨大な情報量でその喪失には気がつかない。映画の後半で美人マッサージ師のドゥホウが手を痛める。マッサージ院では働けず、やがてそこを離れる。同僚たちが静かにいたわる。喪失を経験した者同士が持つ慎みや暖かさのようなものを感じた。映画を見ても、見えない世界が分かったわけではない。だがちょっと安心した。そんなに遠い世界を生きているわけじゃないんだと思った。