TBS「恋する妻たち」

大石静の脚本だから、これくらい生々しくても当然なのだが、さすがだなあ。おいくつなのかはわからないが、昔から変わらず、女性のえぐさを描いてくれる。ドラマは、木村佳乃、吉田羊、仲里依紗が恋する妻たちを演じる。初回から不倫、夫の失踪、部下からの誘惑、盛りだくさんで妖しい。美しい女優さんたちを見るのは楽しい。ともあれ、一生一人だけを愛し続けるなんて生物学的にも無理らしいから、既婚であろうがなかろうが、母だって、妻だって恋をする。いけ好かない弁護士の妻役の仲里依紗は売れっ子落語家にひかれていく。その落語家を演じる阿部サダヲ。色っぽいと話題になってた。確かに小泉孝太郎よりグッとくる。阿部サダヲは「いだてん」の時もよかった。だんだんよくなる。さて、恋する人は色っぽいのかどうかは分からないが、多少なりとも見かけに気を使うから、年齢よりも若く見えるのかもしれない。もういい歳なんだから。イタイ女にはなりたくない。いろいろ考えるとどうしたらいいかわからなくなるが、真面目くさって、ただ老いるよりも多少淫らなことを考えていたい。生々しく生きるのもいい。そもそも生きるとは、そういうことなんだし。

阿川弘之「山本五十六(上)」新潮文庫(昭和48年初版)

阿川佐和子のお父さんの本。威厳あふれる怖いお父さんのエピソードを聞いていたので、さぞかし難解なのではと思っていたのだが、全く逆。山本五十六という人間が魅力的なこともあるが、緻密な調査がうまく整理されていて、山本五十六のいた時代が生き生きと蘇る。新潟長岡出身の山本五十六ロンドン軍縮会議に出席するあたりから始まり、時代を遡って、開戦直前までを描いている。男気があって、知的で強くて大胆な山本五十六がいたら、日本はさぞかし違うものになっていただろう。歴史知らずの私にとっては戦前の海軍のイメージはひとつもなかったのだが、今はすっかり海軍びいき。すっかり山本五十六ファンだ。終戦から75年。もう二度と戦争などしない国に生まれて良かったと思っていたが、最近の世の中を見るとそうでもないような気がしてきた。政府の要人たちが嘘にもならない答弁を繰り返したり。声の大きい人ばかりが進めていく世界は、あの当時の陸軍や、頼りない政府を思い起こさせる。いつからこんなに私たちは鈍感になったのだろう。ひとつひとつの小さな嘘やひづみが溜まっていって、自分ではどうしようもない世界になっていくのだろうか。私たちに出来ることはなんだろう。もう手遅れなんだろうか。

 

 

「浅田家!」(2019年)

懐かしい風景の中で人気の俳優さんたちが懐かしい言葉を話していた。不思議な感覚。前々から話を聞いていた映画を見た。公開から1ヶ月、終わってしまう前に見なきゃっと。写真家浅田政志さんの話。家族写真を撮る写真家で、自分の家族から始まって、いろんな人の家族を撮る。家族というものは面倒くさい部分も多いからついついぞんざいに扱ってしまうのだけど、家族の時間は案外儚い。気がつくと消えている。この映画の浅田家は仲が良くて映画はまったりと進む。そこに東北の震災がくる。写真の汚れを落として返却するボランティアに向かって、「まだそこまで来ていない人間もいる」と激昂する人が出てきた。喪失の痛みはそれぞれ違う。乗り越え方も悲しみ方も、隠し方も千差万別。やりきれなさが溢れていたあの時のことを思い出した。記憶が悲しみを深め、記憶が悲しみを癒す。写真は記憶を手伝う大事な道具。なるほどなあ。写真がないともう思い出せないことが一杯。写真は幸せな瞬間を思い出させてくれる。たとえもうその幸せは存在してなくても。確かに存在したことを。

陳舜臣「茶の話 茶事遍路」朝日文庫(初版1992年) 

中国ブームが続く。陳舜臣のお茶の話。もともとは朝日新聞に連載されていたものらしい。中国のお茶の歴史かと思ったら、そんな狭い話ではなく広く深いお話。お茶を知った人間はお茶にはまり、いつしか手放せなくなってしまった。お茶を手にいれるために戦い、お茶をくみかわすことで心を通わせ、いつしかお茶は人類の暮らしのとても深い部分に入り込んでしまった。そもそもアメリカがイギリスから独立したのもお茶が原因らしい。お茶の税金に反対した植民地アメリカが本国イギリスと戦いを始めたとか。お茶が欲しいイギリスは中国に見返りにアヘンを持ち込んだとか。モノを知らない人間にとっては、へえーの連続である。今から30年近く前の本を読んで感心しているのだ。もっと若いうちに読んでいれば、その後の人生は多少変わったかもしれないよね。もう何を言っても遅いのだけど。まあ、生きているうちに読めてよかったよ。それにしても、お茶を飲むという行為にこんなに奥深い歴史と哲学が秘められているなんて。茶道もいつかやってみたいと思ってはいたが、もうやる時間はないなあ。夕日は落ちだすとあっという間に落ちていくように。人生も今頃になるとあっという間に落ちだす。焦るなあ。でも焦ったところで行く先はひとつだし。ゆっくり味わって参りましょう。

陳舜臣「中国の歴史(二)」講談社文庫(初版1990年)

2冊目を 読み終えた。1冊目に劣らず面白い。これなら7冊いけそうだが、残念ながら手元には2冊しかない。2冊目は戦国時代から前漢の終わりまで。戦国時代から秦の始皇帝項羽と劉邦前漢武帝が死んで大体終わる。単純に時系列で進まないので、老荘思想やら、封禅やら、テーマによっては時代が前後する。それがこの本の魅力で、すでに述べられた人物がまた登場してくるので、忘却の人には助かる。なんせ登場人物が多すぎる。そのうえ漢字も複雑、国も多すぎる。だが、それでも面白いのだから素晴らしい。コロナ禍が起こる前に行った上海が今のところ最後の海外旅行だ。初めて行った中国本土は思いのほか楽しかった。「中国怖い」から「中国楽しい」になってすぐコロナ。もっと知識を蓄えてから行けという神の思し召しなのか。前漢までの中国は、策略や陰謀が渦巻き、かなりの恐ろしい。権力者が平気で人を、それも大量に、次々殺す。幼い子供も家族も容赦なく、殺し方も残酷きわまりない。ちょうど、香港の問題をテレビで見たばかりもあり、恐ろしさは倍増。やっぱり中国は恐ろしいのか?!2500年前と比べて人間は少しはましな社会を作っているのだと思うが、それでも悲しみは減らず、愚かしいことは繰り返されている。私たちが嘆き戦ったとしても、歴史の砂嵐にまた埋もれるのだろう。だとしても、何もしないと決め込むのも寂しい。生きることは、もがくこと?私の場合、あと少しだし、もがいてから死んでも別に悪くない。

陳舜臣「中国の歴史(一)」講談社文庫(初版1990年)

「弥縫録」以来、陳舜臣が好きになった。もう故人なのだが。ちょうど少し前から中国になぜか興味が出てきたのもあって、陳舜臣さんの全七巻の中国の歴史に手をつけた。第1巻は神話時代から春秋戦国、紀元前400年ごろまでの話である。春秋戦国時代の中国は群雄割拠の混沌の世界。日本でいえば戦国時代のようなのだが、違うのはその時期。春秋戦国は今から2500年ほど前、紀元前500年の話。中国の歴史の長さには気が遠くなってしまう。悠久の歴史を持つ中国人が多少威張っても仕方ない。難しい漢字の羅列や、多くの国名と似通った王たちの名前にくじけることなく読み終えられたのは陳舜臣の語り口おかげ。軽すぎず重すぎず。深い話を分かりやすく。さまざまなエピソードを国を変えて、視点を変えて、繰り返して説いてくれるおかげで、理解の遅い人間にも歴史ドラマが脳内に広がる。楽しい。亀のように読むのは遅いのだが、焦る必要はない。ただ涸れそうな好奇心の泉をもう少し刺激していきたい。読んでもすぐ忘れちゃうのだが、忘却を恐れる必要もない。人生は忘れるために生きているようなものなのだから。忘れそびれた薄い知識もやがて少しは溜まって何か楽しいことにつながってくれるかもしれない。コロナで本を読む時間だけはたんまりある。一日一日前に進みつつ、自分を楽しませていかねば。だってもう誰かのために生きることもないのだし。前に進むことはただ死に近づくだけ。そんなことを考えたら暗くなってしまうが、生きるとはそういう覚悟も必要かと思う。最後まで日々の灯を照らし続ける努力を惜しまないように。これも一つのアンチエイジングだね。

小松左京「復活の日」角川文庫(1975年初版)

映画も話題になった。私も古い書棚から引っ張り出してきて読んだ。よくできた話で面白かった。コロナ禍で都市封鎖されていく時期に読めば、状況が重なって見えただろう。作者小松左京氏がこの小説を書いたのは昭和39年。東京オリンピックの年だというのも皮肉なめぐりあわせだね。作者が科学者の独白の中で語る、当時の世界の状況に対する反省や批判は、そのまま私たちの今の状況にも当てはまる。衝撃的、だって半世紀以上たっても何も変わってないのだから。人間の敵はウイルスなのに、人間同士の憎悪や復讐の連鎖を断ち切ることはできていないだから。知力を持って普遍的真理に近づくことが哲学だとすれば、確かに哲学は無力のままなのかもしれない。絶望の中、唯一生き残った南極の人たちが、ひとつの「南極人」として立ち上がる。遠い話になっちゃったがラグビーのワンチーム的なね。復活の日は遠いとしながらも希望に満ちて小説は終わる。いやあ満たされた。小松左京氏の博識ぶりと壮大な想像の翼に。前向きな熱い思いに。新型コロナの状況は好転しないまま、すっかり慣れてしまった私たち。生きるためには経済をまわせというけれど、何か根本的なところが違う気がする。低きに安きに流れる人間の弱さのせいだけど、そのまま流されているのはつまらない。少しでも個人が底上げして、世界を変えていくしかない気がする。たとえ砂上の楼閣でもね。無駄な努力だとしても、戦わないとね。戦わない奴らが笑っていても。ファイト!ちゃんと生きよう。それが今できる最良のことでありますように。