東洋文庫ミュージアム

秋の日の午後、ただ券をもらったので駒込までお出かけした。もらわなければ行かなかったし、存在さえ知らなかったところだ。六義園の近所で立派な建物。厳重な感染予防対策をして中に入る。ここの呼び物は2階にあるモリソン書庫。洋書が一杯、照明が絶妙で本棚がオレンジ色の暖かな光の中で独特な雰囲気を作り出している。カッコいい。椅子も置いてあるので、他に人がいなければゆっくり座って眺めたかった。小さな博物館だが、さすが岩崎財閥。国宝もあって珍しい江戸時代の書籍もきれいに残っていた。裏に出ると中庭かあって、緑の奥には素敵なカフェがある。カフェに向かうまっすぐ伸びた道は雰囲気もいい。デートにいいところだね。若いカップルもいいけど、老齢でも、妙齢でも、ひとりでもいいかも。秋は足早に過ぎて行くのだけど、今日は小春日和かな。予測不能な現在、緩急自在に行きましょう。

藤沢周平「刺客 用心棒日月抄」新潮文庫(昭和62年初版)

困ったときの藤沢周平。安定の読み心地と満足が得られる。これは用心棒日月抄のシリーズのひとつのようだ。主人公の青江又八郎は剣の達人。元家老の密命を受けて脱藩して江戸へ赴く。用心棒のバイトをしながら、藩の密命を背負った特殊工作員たちを救いに行くという話。用心棒仲間の細谷、用心棒仕事を斡旋してくれる時蔵、江戸での女工作員の佐知。魅力的な脇役陣を配し又八郎の剣は敵を打つ。途中で、佐知とのロマンスをはぐくみ、晴れてお役目を果たして国に戻り家庭に戻る。風情といい、色気といい、戦闘シーンといい、毎度のことながら読んでいて気持ちがいい。至福。悦楽。時代は違えど人間のなすことも思うことも変わらない。時代小説の魅力はそこにある。お気に入りは池波正太郎藤沢周平だが、既に故人。新規開拓したいのだが、なかなかツボにはまる人に出会えない。藤沢周平ばかりもなんだかなあと思うのが、ちょっと元気のない日は許してもらおう。甘えたい夜は誰にだってある。

松本清張「点と線」新潮文庫(昭和46年初版)

松本清張が有名になった小説らしい。ドラマを見たりしていたので、おおよその中身は知っていたのだが、小説を初めて読んだ。薄いからあっという間に読めた。今では珍しくないが、アリバイ崩しがテーマである。時刻表を読み解いて犯人のアリバイを崩す。昭和の話だなあと思うのは、犯人が乗っていた車両に着物姿の人がまだちらほらいるということや、地方の老刑事が東京の若手刑事に書いた手紙の文章がこれでもかと思うほどへりくだっていることだ。謙遜が当たり前だった時代、今、これがすらすら書ける人はもう多くはないだろう。時代は進む。この話のような推理小説は今はもう読者を集めないかもしれない。でも、この短い小説は、事件だけでなく、あの頃の風俗や社会を巧みに描き出している。高度経済成長の日本は猛烈に前進していて、何かを積み残しつつも前へ前へと進んでいた。今もそうだが、社会はいつも何かを犠牲にしていくものなのかもしれない。着実に忘れ去られ、踏みつけにされているものがある。今はそれが自分じゃなくてよかったと思っている。でも、ある日突然転落するかもしれない。そうでなくても、どんどん年をとって坂道は下る一方だ。孤独に寂しく、体は不自由になっていく。誰にも大事にされず、顧みられることもなく、生きること、そして死ぬこと。昭和のあの頃よりもずっとリアルに一般的になってきた。これも時代の流れ。甘んじて受け止めるしかない。

「82年生まれ、キム・ジオン」(2020韓国)

本がベストセラーで世界中で翻訳されているらしい。古い本ばかり読んでいるので知らなかった。82年生まれの既婚女性が主人公。子育てを機に仕事をやめて専業主婦をしている。社会から切り離されて心を病んでいく女性を描いている。こういうと、メンタル弱めなキャリア女子の狭い話のようだが、映画はもっと深く多面的に彼女を取り巻く世界を描いている。主人公は「生きづらさ」を抱えているのだが、彼女だけが格段弱いわけでも、特別、上昇思考が強いわけでもない。ただ今ある世界で一生懸命生きているだけ。誰もが感じている窮屈な感じを静かに切なく描かれている。韓国映画は日本映画にはない重層感を感じることが多い。私が外国人だからかもしれない。韓国の方がエンターテイメント業界が厚いのかもしれない。役者さんの演技が本当にうまい。主人公の同僚や家族、実家の家族など脇役陣の抑えた演技が作品を厚くしている。それにしても私たちを取り巻く世界は便利になったし豊かにもなった。同時に息苦しさは深まった気がする。お隣の韓国も出生率は低そうだし、学歴社会、就職難もキツそうだ。昔ほど友好ムードはないが、いづこも同じ秋の夕暮れ。全部は受け入れられなくても共感できる部分は大切にしたい。コロナのおかげで世間は内向き。嫌な感じだけど。また外に出かけられるようになったら韓国にも行きたい。過去の旅で出会った韓国の人たちはいつも親切で優しかった。旅の思い出を反芻しながら、今は静かにしてコロナ様の怒りを鎮めたいと思う。

「星の子」(2019)

芦田愛菜主演の映画。お父さんが永瀬正敏、お母さんが原田知世。両親が新興宗教の熱心な信者でその娘の揺れる心を描いている。静かな映画で押しつけがましい所はないが、少し食い足らない感じもした。イケメンだけど性格の単純そうな中学教師に岡田将生新興宗教の幹部で催眠術もできる妖しい女に黒木華。さすがだね。短い出演だが、しっかり印象を残していた。原田知世の兄が大友康平。妹一家を宗教から離れさせようと奮闘する。大友康平もすっかり油が抜けてフォルテシモの面影はない。永瀬正敏原田知世もリアルな中年を演じていた。みんな年を取るのね。当たり前だけど。緑のジャージを着てタオルを頭にのせていると永瀬君も知世ちゃんも本当にカッパみたいだった。笑えない。親の考えを否定するのも、そのまま受け入れるのも、どちらも仕方がない。特にお姉ちゃんが反発したら下の子は従順になってしまうよね。自分の意思で選んだつもりでも、完全に親の影響を排除することは無理。そんな微妙なところを芦田愛菜ちゃんが繊細に演じている。凄い役者さんだわ。すえ恐ろしい。宗教に限らず自分の物差しに合わないものを受け入れることは難しい。違いを受け入れるとか、多様性とか、耳障りの良い言葉はよく飛び交うが、実際のところ、それが出来ないから困っている。排除と融合。共感と反発。私たちは強くて優しい人にならなければ。しんどくなるのは当たり前だ。

阿川弘之「山本五十六(下)」新潮文庫(昭和48年初版)

巻末の解説によると、単行本が出てから遺族からクレームがついたとか。著者はそれで300ページも書きたして本書となったらしい。最初のどの部分が問題だったのか、読みたくなるね。下巻は真珠湾攻撃から始まって、山本五十六国葬あたりまでが描かれる。上巻が景気の良いころまでの話だったのに対し、下巻が落ち目になっていく話、痛快さから悲しみとやるせなさに変わっていく。読んでいて暗くなった。第二次世界大戦の日本のヒーローは間違いなく山本五十六だった。彼を失った日本国民の悲しみは相当のものだったろう。彼の死に暗雲立ち込める将来を予感しただろうし。一週間後にはアッツ島玉砕だったらしいし。三国同盟に最後まで反対し、英米相手の戦争をぎりぎりまで回避しようとしていた山本五十六。彼がもっとが生きていたら、その後はどうなっていたのだろうか。著者がこの小説の最初に言っていたことだが、私もそう思っあ。75年前の戦争で失ったものを、私たちはもう想像するのも難しくなってきている。それでも私たちの国が戦争を始めたこと、たくさんの人を殺したことは消えない。国の歴史を背負って生きる必要はないのかもしれない。でも、どこかに私たちの中を流れる意識のひとつに、国の歴史は存在する気がする。じゃあどうしたらいいのだろう。わからない。今のアメリカで問題になっている人種問題もルーツはそこにある。友達になるには過去にとらわれない方がいいのか。過去を踏まえて注意するべきなのか。殺された方にすれば、何も知らないというだけでイラっとするかもね。

 

 

NHKドラマ10「タリオ」

全然期待してなかったのだが、見るたびに好きになっていく。浜辺美波の奇妙な小娘弁護士役もどんどんツボに入ってきて今では楽しみになってしまった。岡田将生君と浜辺美波のダブル主演。復讐代行の話。浜辺美波がいい。すっとんきょうな魅力をだして、相手役の岡田将生に馬鹿にされながらも、ぐいぐい進む折れない女。浜辺美波は、ただのかわいい女の子なのかと思ったがちがう。大物感がある。岡田将生君は相変わらず底が浅そうな役や性格が悪い役がいい。今回も当たり役。ふたりにはスキャンダルに巻き込まれず、これからも上手にキャリアを重ねて行ってほしい。薬にも手を出さず、交通事故もせず、不倫もせずに。昨今の芸能人は大変。そもそも普通の人じゃないのだから、多少逸脱していることが当たり前なのだけど。人々は、裁くべきものを裁かず、叩ける人をたたく。正義感もお手軽な方が出しやすい。そんなこという自分だってそのひとり。あああ。私の敵はやっぱり私だ。ファイト!